さ~て本日は受験生の味方、コチラに来ております~☆
「北野天満宮」で~す

たまたま写真を撮った日が曇りだったので残念です。
場所はこの位置にあります。
んで今出川通から見ていただける、この鳥居、
「一の鳥居」という名前なんですが、実は移動しているらしいです。。
天満宮内の絵馬所内に掲示されていた部分を直接写真で撮っただけなので、
わかり辛くて申し訳ございません。。。
これでいくと…
一の鳥居、実は上京署の南付近にあったものですね。
それが現在の写真の『昔の「二の鳥居」の位置』に移動。
さらに「二の鳥居」は今はもうない『昔の「三の鳥居」の位置』に移動。
そして昔「四の鳥居」と言われたが現在は名称を変更して「三の鳥居」で場所は移動せず。
…解説したつもりが余計ヤヤコシクしてますね
コレが当時の「一の鳥居」写真です。
ネットで昔の「一の鳥居」の詳しい場所(上京署の南付近)を調べようとしたのですが…見つからず
すんまそん。。。
これが移動して現在の位置になったんですね。
余談ですが。。
ただ当時の「二の鳥居」の前、今出川通から撮ったと思われる写真が検索で出てきました。
市電北野紙屋川町。
目の前の今出川通を市電が走っています~。
これらは京都市電北野線です。
奥に見えるのが当時の「二の鳥居」。
「庶民の台所 北野下の森商店街」からの写真だと思われます。
この商店街、安売りで有名だったみたいですね
また市電とともに改めて取り上げていきたいです
話を元に戻しまして。。。
さて、この(現在の)一の鳥居、両脇にイカツイ狛犬が
調べてみますと。。。
1934年(昭和9)画家 竹内栖鳳の考案による、全長約5メートルの
京都府内で最も大きい狛犬が、表参道入口に面して建立されています。
また、同宮境内には京都府内で最も多い、12対の狛犬が建立されています。
…つまりは狛犬マニアにはヨダレが出るスポット場所ということか
にしてもこの石の鳥居を動かすのは大変だったろうな~
うわっ、空がやば過ぎ。。
さて、雨が降らないうちに乗り込みますか
早速、見えてきましたね~
奥にチラッ
見えるのが「二の鳥居」
それにしても参道の周りに石灯篭がとにかく多い
これに明かりが灯ればホントに良い感じなんでしょうね
その石灯篭の間を縫うように…ありましたよ牛さんの石造が
牛さんって…失礼ですね。
牛は天満宮では神使(祭神の使者)とされているんです。
その理由は…
1.道真の生まれた年が丑年
2.道真が亡くなったのが丑の月の丑の日
3.道真は牛に乗り大宰府へ下った
4.牛が刺客から道真を守った
5.道真の墓(太宰府天満宮)の場所を牛が決めた
…だそうです。(ただし、眉唾な説もあるようで。。。)
さて、これが「二の鳥居」ですね。
お引越しをする前は現在の「一の鳥居」のポジションにありました。
これが
そうなんですが、、、やっぱり移動しなくちゃいけなかったんですよね~。
いや、見た目「一の鳥居」と殆ど変わらないのでつい、、
相変わらず罰当たりな発想です。。
狛犬まで移動したのでしょうかね?
そこまでの記述は何処にもないっす。。
この「二の鳥居」を北に向き左手。
突き当たりは「北野東向観音寺」があります。
このお寺をわざわざ紹介したのは…
これなんですよ~
「土蜘蛛塚」です
はい、マニアックですね。ついてきてくださいね~
簡単にあらましを~
平安時代中期、
源 頼光(みなもとのよりみつ)なる武芸に秀でた武将がおりました。
注)伝説で登場する場合は”らいこう”と呼ばれることが多い。
ある時、頼光は悪病にとりつかれ、病床に伏したままうなされたと云います。
ある夜のこと、頼光の枕元に法師が現れ、縄で頼光を縛ろうとする。
病にある頼光とはいえ、腕に自信のあった頼光は、
枕元にあった名刀で法師を一刀両断に斬りつけます!!←すげぇ
法師の姿は消え失せていたけれど、
辺り一面には赤い血が点々としていたと云います。
頼光は家来の四天王の渡辺綱(わたなべのつな)←晴明神社でも出てきましたよね
卜部季武(うらべのすえたけ)←「トベ」ではないんですよ~謎が多い人物です
坂田金時(さかたのきんとき)←いわゆる金太郎のモデル
碓井貞光(うすいさだみつ)←平貞光(たいらのさだみつ)の方が有名でしょうか
らに探索を命じたそうです。
続く血痕をたどると、北野天満宮の北側辺りの塚まで続いており、
四天王は塚を掘り返したところ、
土の中から人の背丈もあろうかという黒い蜘蛛(くも)が蠢いていたとか




四人がかりでこの土蜘蛛を退治し、加茂川に晒したところ、
頼光にとりついていた悪病も、みるみる快方に向かったと。。。
こえ~
…メッチャ脱線しましたね。。
まぁ、東向観音寺はコレだけじゃないので、もし宜しければ下記HPでチェックしてください
http://www5.ocn.ne.jp/~kannonji/
さて、元に戻ってまいりました現在の「二の鳥居」、
ココは昔、「三の鳥居」のあった場所。
昔の「三の鳥居」は他の鳥居とは異質で、「木造」なんです。
暗すぎて分からないですよね
すんません
ただこんな様子の写真がありました。
この写真は北野天満宮1025年大祭で賑わう様子です。
後ろに見える木の鳥居、これが当時の「三の鳥居」臭いです。。
間違っていたらごめんなさい。。
ただもうコレ現存しないんですよね~
なぜコレだけ木造だったのか。
撤去したあとどうなったか。。。謎ですね~
さて、また元に戻しまして。
「二の鳥居」をくぐってスグ、正面に見えるのが
「三の鳥居」です
あら、可愛らしい牛もいたもんだ。
この牛さん、知らなかったんですが悲劇に見舞われたようですね。。。
色々ネットで調べてるうち、こんな可愛い子牛さんはある事件がキッカケで…
2008年6月26日
学問の神様として知られる京都市上京区の北野天満宮で26日午前5時ごろ、頭をなでると賢くなるとして信仰対象になっている「なで牛」=御影(みかげ)石製=の頭が割られているのを女性参拝客が見つけた。神社から届けを受けた京都府警上京署が器物損壊容疑で捜査している。
調べなどによると、壊されたなで牛は一の鳥居から楼門に向かう参道沿いにあり体長約40センチ、高さ約10センチ。首は台座の下に落ちていた。付近には、犯行に使われたとみられる直径約20センチのコンクリート片があった。
数年前に同じ場所にあった別の撫牛が盗難被害に遭い、壊されたのは代わりに置いたものだった。
この先代の代わりに同年12月20日に奉納されたのが…
なんとも悲しい話です。。
こんな事であれば、撫でてきたら良かった
今日は脱線が多い
それだけ話題満載なんですよ、北野天満宮は。。
予告します。
また脱線します
さて「三の鳥居」の手前に…
「三の鳥居」を正面に左手ですね。
こんなものがあります。
みると、伴氏社(ともうじしゃ)と書いてあります。
菅原道真光の母君が祀られているとの事。
有名なのは、京都三珍鳥居の一つである事。
他の二つは…
・京都御苑内『厳島神社』
・『蚕ノ社』
三珍と言われるのは、柱を支える台座の部分。ここに蓮弁が刻まれている。
…たしかに。
それともう一点。
「額束も珍しいもので、島木(鳥居の上の横棒)を貫通して笠木まで延びているように
見える。この鳥居は鎌倉時代に作られたもので、 重要文化財に指定されている。」
コレだけじゃ
…ですよね
これは一般的な鳥居の形の代表として、有名な伏見稲荷大社の鳥居を見てください。
分かりますか?
上部の真ん中が違うでしょ?
なんしかこの工法が鎌倉の方法らしく、重要文化財になっているそうです。
んでやっと「三の鳥居」くぐりました。。。
紅葉がとても綺麗です~
さぁ、ここからが本番です。
正面に見えるのが北野天満宮メインの一つ、中門(三光門)です。
さて本日はここまで。
また後編で。。。
「北野天満宮」で~す


たまたま写真を撮った日が曇りだったので残念です。
場所はこの位置にあります。
んで今出川通から見ていただける、この鳥居、
「一の鳥居」という名前なんですが、実は移動しているらしいです。。
天満宮内の絵馬所内に掲示されていた部分を直接写真で撮っただけなので、
わかり辛くて申し訳ございません。。。
これでいくと…

一の鳥居、実は上京署の南付近にあったものですね。
それが現在の写真の『昔の「二の鳥居」の位置』に移動。
さらに「二の鳥居」は今はもうない『昔の「三の鳥居」の位置』に移動。
そして昔「四の鳥居」と言われたが現在は名称を変更して「三の鳥居」で場所は移動せず。
…解説したつもりが余計ヤヤコシクしてますね

コレが当時の「一の鳥居」写真です。
ネットで昔の「一の鳥居」の詳しい場所(上京署の南付近)を調べようとしたのですが…見つからず

すんまそん。。。
これが移動して現在の位置になったんですね。
余談ですが。。
ただ当時の「二の鳥居」の前、今出川通から撮ったと思われる写真が検索で出てきました。
市電北野紙屋川町。
目の前の今出川通を市電が走っています~。
これらは京都市電北野線です。
奥に見えるのが当時の「二の鳥居」。
「庶民の台所 北野下の森商店街」からの写真だと思われます。
この商店街、安売りで有名だったみたいですね

また市電とともに改めて取り上げていきたいです

話を元に戻しまして。。。
さて、この(現在の)一の鳥居、両脇にイカツイ狛犬が

調べてみますと。。。
1934年(昭和9)画家 竹内栖鳳の考案による、全長約5メートルの
京都府内で最も大きい狛犬が、表参道入口に面して建立されています。
また、同宮境内には京都府内で最も多い、12対の狛犬が建立されています。
…つまりは狛犬マニアにはヨダレが出るスポット場所ということか

にしてもこの石の鳥居を動かすのは大変だったろうな~
うわっ、空がやば過ぎ。。

さて、雨が降らないうちに乗り込みますか

早速、見えてきましたね~
奥にチラッ
見えるのが「二の鳥居」
それにしても参道の周りに石灯篭がとにかく多い

これに明かりが灯ればホントに良い感じなんでしょうね

その石灯篭の間を縫うように…ありましたよ牛さんの石造が

牛さんって…失礼ですね。
牛は天満宮では神使(祭神の使者)とされているんです。
その理由は…
1.道真の生まれた年が丑年
2.道真が亡くなったのが丑の月の丑の日
3.道真は牛に乗り大宰府へ下った
4.牛が刺客から道真を守った
5.道真の墓(太宰府天満宮)の場所を牛が決めた
…だそうです。(ただし、眉唾な説もあるようで。。。)
さて、これが「二の鳥居」ですね。
お引越しをする前は現在の「一の鳥居」のポジションにありました。
これが
そうなんですが、、、やっぱり移動しなくちゃいけなかったんですよね~。いや、見た目「一の鳥居」と殆ど変わらないのでつい、、
相変わらず罰当たりな発想です。。
狛犬まで移動したのでしょうかね?
そこまでの記述は何処にもないっす。。

この「二の鳥居」を北に向き左手。
突き当たりは「北野東向観音寺」があります。
このお寺をわざわざ紹介したのは…
これなんですよ~

「土蜘蛛塚」です

はい、マニアックですね。ついてきてくださいね~

簡単にあらましを~
平安時代中期、
源 頼光(みなもとのよりみつ)なる武芸に秀でた武将がおりました。
注)伝説で登場する場合は”らいこう”と呼ばれることが多い。
ある時、頼光は悪病にとりつかれ、病床に伏したままうなされたと云います。
ある夜のこと、頼光の枕元に法師が現れ、縄で頼光を縛ろうとする。
病にある頼光とはいえ、腕に自信のあった頼光は、
枕元にあった名刀で法師を一刀両断に斬りつけます!!←すげぇ

法師の姿は消え失せていたけれど、
辺り一面には赤い血が点々としていたと云います。
頼光は家来の四天王の渡辺綱(わたなべのつな)←晴明神社でも出てきましたよね
卜部季武(うらべのすえたけ)←「トベ」ではないんですよ~謎が多い人物です
坂田金時(さかたのきんとき)←いわゆる金太郎のモデル
碓井貞光(うすいさだみつ)←平貞光(たいらのさだみつ)の方が有名でしょうか
らに探索を命じたそうです。
続く血痕をたどると、北野天満宮の北側辺りの塚まで続いており、
四天王は塚を掘り返したところ、
土の中から人の背丈もあろうかという黒い蜘蛛(くも)が蠢いていたとか





四人がかりでこの土蜘蛛を退治し、加茂川に晒したところ、
頼光にとりついていた悪病も、みるみる快方に向かったと。。。
こえ~

…メッチャ脱線しましたね。。
まぁ、東向観音寺はコレだけじゃないので、もし宜しければ下記HPでチェックしてください

http://www5.ocn.ne.jp/~kannonji/
さて、元に戻ってまいりました現在の「二の鳥居」、
ココは昔、「三の鳥居」のあった場所。
昔の「三の鳥居」は他の鳥居とは異質で、「木造」なんです。
暗すぎて分からないですよね

すんません

ただこんな様子の写真がありました。
この写真は北野天満宮1025年大祭で賑わう様子です。
後ろに見える木の鳥居、これが当時の「三の鳥居」臭いです。。
間違っていたらごめんなさい。。
ただもうコレ現存しないんですよね~

なぜコレだけ木造だったのか。
撤去したあとどうなったか。。。謎ですね~

さて、また元に戻しまして。
「二の鳥居」をくぐってスグ、正面に見えるのが
「三の鳥居」です

あら、可愛らしい牛もいたもんだ。
この牛さん、知らなかったんですが悲劇に見舞われたようですね。。。
色々ネットで調べてるうち、こんな可愛い子牛さんはある事件がキッカケで…
2008年6月26日
学問の神様として知られる京都市上京区の北野天満宮で26日午前5時ごろ、頭をなでると賢くなるとして信仰対象になっている「なで牛」=御影(みかげ)石製=の頭が割られているのを女性参拝客が見つけた。神社から届けを受けた京都府警上京署が器物損壊容疑で捜査している。
調べなどによると、壊されたなで牛は一の鳥居から楼門に向かう参道沿いにあり体長約40センチ、高さ約10センチ。首は台座の下に落ちていた。付近には、犯行に使われたとみられる直径約20センチのコンクリート片があった。
数年前に同じ場所にあった別の撫牛が盗難被害に遭い、壊されたのは代わりに置いたものだった。
この先代の代わりに同年12月20日に奉納されたのが…
なんとも悲しい話です。。

こんな事であれば、撫でてきたら良かった

今日は脱線が多い

それだけ話題満載なんですよ、北野天満宮は。。
予告します。
また脱線します

さて「三の鳥居」の手前に…
「三の鳥居」を正面に左手ですね。
こんなものがあります。
みると、伴氏社(ともうじしゃ)と書いてあります。
菅原道真光の母君が祀られているとの事。
有名なのは、京都三珍鳥居の一つである事。
他の二つは…
・京都御苑内『厳島神社』
・『蚕ノ社』
三珍と言われるのは、柱を支える台座の部分。ここに蓮弁が刻まれている。
…たしかに。
それともう一点。
「額束も珍しいもので、島木(鳥居の上の横棒)を貫通して笠木まで延びているように
見える。この鳥居は鎌倉時代に作られたもので、 重要文化財に指定されている。」
コレだけじゃ
…ですよね
これは一般的な鳥居の形の代表として、有名な伏見稲荷大社の鳥居を見てください。
分かりますか?
上部の真ん中が違うでしょ?
なんしかこの工法が鎌倉の方法らしく、重要文化財になっているそうです。
んでやっと「三の鳥居」くぐりました。。。
紅葉がとても綺麗です~
さぁ、ここからが本番です。
正面に見えるのが北野天満宮メインの一つ、中門(三光門)です。
さて本日はここまで。
また後編で。。。
