前回からの震災ボランティアブログ第2回です
4月6日~7日の出来事です
こちらも、IPSSスノーボードスクールブログに載せたものです
7日深夜、最大規模の余震がおきました
宮城県内の最大震度は6強。余震っていう規模じゃないぞ…と思いつつ。
自分は内陸部の道の駅で車泊していましたが、ハンパない揺れでおまけに長くて車が横転するんじゃないか、というくらいの体感でした。
とりあえず、飛び起きて外を見るとまわり全体が完全に停電、さすがにあれだけの揺れで津波がこないわけがないなと思ったら案の定津波警報…
ほとんど車通りのなかった道にヘッドライトの通過が頻繁になりました。
明日果たして南三陸町に行けるのか心配になりながら眠りました。
余震の次の日、南三陸町に向かう道の様子がやっぱり変わっていました。
「こんなとこに地割れあったか?この段差こんなにあったっけ?」カーナビを見ると、昨日までなかった通行止めマークが至るところに…
もちろん内陸部も停電でした。昨日まで稼働していた信号は全て停止
ガソリンスタンドには長蛇の列ができていました。
ちなみに、余震の影響でボランティアが前日に比べて激減。雨予報だったことも影響したみたいです。
書きたいことは沢山ありますが、もう寝ます。
今いるところは南三陸町志津川小学校校庭です。
ライフラインが全く復旧していないこの地域では日が沈むと真っ暗なので、日が昇るとともにラジオ体操をみんなでしたりしているそうです。
ということで、写真を一枚紹介します。
ここは、南三陸町ボランティアセンターの詰め所で少し左に見えているテントの中には、「思い出探し隊」の集めた写真が保管されています。
こちらにきて四日目には、一緒に行動しているTAKAが一日中、思い出探し隊の写真洗浄してました。(私はほぼ仮設トイレの掃除してました)
それではおやすみなさい…
ボランティア 3日目4日目の出来事でした
普通ならいやでいやでしょうがない仕事だけど、このときだけは進んで快くできました
ボランティアでよくトイレ掃除したけど、(どんなトイレ掃除よりも過酷)
昔の写真の強さ 感した瞬間だった
ちなみに、白黒写真はどんなに濡れても滲んだりしなかった
綺麗にして、持ち主に返すことを念頭においての作業ですが場合によってはドロがついたままの方がよかった写真もあるということが事実
思い出探し隊の写真洗浄は、正直洗浄することにより色が落ちてしまった写真もあった
内陸の道の駅で寝てたが、ここまで津波がくるんじゃないかと心配してしまうような揺れだった
とりあえず、4月7日深夜の余震は自分の経験史上最高の揺れだった