先日の出来事
先日、同部屋だったじいさんが亡くなった。歳は70前後ぐらいか。
まぁ、この期におよんで歳を出すのは野暮だな。どうなるかなんて分からんのがお互いのことだ。
じいさんは今回が初めてではないようだが、オレよりも遅く入院してきた。
話したことはなかった。
挨拶をしても反応もない無愛想なじいさんだった。
そんなじいさんも、看護師やらには心を開いており元気にしゃべっていた。
盗み聞きをするつもりなどなかったが、話しによるとりんご農家をしているらしく、しかしそれはじいさんの代までで、息子さんや孫は外に働きに出ているタイプの農家である。
つまり、りんごは今が旬な時期で最盛期なわけだが、じいさんが不在だと回らない状態なのである。
朝から、迷惑なぐらいのボリュームで、親戚やらのお手伝が来る土日には病室から携帯で指示が飛んでいた。
本人も早く退院して戻る気満々だった。
しかし、病状は上向くどころか、下が向く一方だったのが、素人目のオレでも見てとれた。
そんなある日、家族が病院側に呼ばれたらしく、孫や親戚まで病室の余白
を埋めつくす人数が来ていた。じいさんにを励ます声、りんごのことを聞く声などだ。
家族呼ばれ、または家族が申して出て病気の説明や治療法などの解説を専門的にICと言うらしい。
このIC。いい話しもあればもちろん悲しい話しもある。経験上病院側からあるICはいい話ではない。
じいさんは後者だっらしい。
オレが別室で電話をしている間にICを終えた家族は病室に戻っていた。まさかの話であったのだろう。ただ呆然とし、数名がシクシクしていた。
本人も呆然としていた。
タオルを頭に巻いた土方風の孫のにいちゃんは病室の入口でオレとすれ違ったが、明らかに涙を堪えてる様子だった。耐えきれないし、涙を流すのも見られたくないと言ったところだろうか。
それからは早かった。
りんごの指示をするを電話もめっきりと減り、本人もふて腐れたような感じで看護師にあたったり、わがままを言ったりする機会が増えて言った。体調も悪くどんどん弱っていくのが見てとれた。
ICが完全に裏目に出た様に思った。もはやICの時点で、じいさんには真実を受け入れ、復活してやるという活力がすでになかった。
そして、いよいよ病状が悪化して死が近いと判断され、個室に移されることになった。
今のオレなら喜んで移されたいところだが、じいさんは違った。
個室の方がナースステーション近いし、気使わなくていいし。看護師がそんな言葉をかけたとでじいさんは、
「個室なんて死ぬみたいやないか…。」
と抵抗した。
ドキッとした。じいさんはマジで一刻と迫り来る死への恐怖を表に出していた。
それから3日後ぐらい、じいさんが亡くなったことを知った。
オレは看護師に質問した。
あのICは必要だったのか?本人は無しでも良かったんじゃないかと…。
すると驚いたことに、じいさんの病気は血液系のガンだったみたいだが、本人が治療そのものを拒んでいたらしい。しんどいのがもう嫌だったのか。それは分からないが…。
つまり、今回の入院はあくまで緩和ケア、痛みなどを緩和するための入院であって、始めから治療が目的ではなかったらしい。
本人は死を選んでたってことなのか?
死を選んだ人間が、なぜあそこまで個室を拒み、死を拒んだろう。
いや、違う。
いくら準備をしていようとも、どんなに理解をしていようとも、変わることのない苦しみがある。
それが「死」への苦しみなんだ。
合掌
まぁ、この期におよんで歳を出すのは野暮だな。どうなるかなんて分からんのがお互いのことだ。
じいさんは今回が初めてではないようだが、オレよりも遅く入院してきた。
話したことはなかった。
挨拶をしても反応もない無愛想なじいさんだった。
そんなじいさんも、看護師やらには心を開いており元気にしゃべっていた。
盗み聞きをするつもりなどなかったが、話しによるとりんご農家をしているらしく、しかしそれはじいさんの代までで、息子さんや孫は外に働きに出ているタイプの農家である。
つまり、りんごは今が旬な時期で最盛期なわけだが、じいさんが不在だと回らない状態なのである。
朝から、迷惑なぐらいのボリュームで、親戚やらのお手伝が来る土日には病室から携帯で指示が飛んでいた。
本人も早く退院して戻る気満々だった。
しかし、病状は上向くどころか、下が向く一方だったのが、素人目のオレでも見てとれた。
そんなある日、家族が病院側に呼ばれたらしく、孫や親戚まで病室の余白
を埋めつくす人数が来ていた。じいさんにを励ます声、りんごのことを聞く声などだ。
家族呼ばれ、または家族が申して出て病気の説明や治療法などの解説を専門的にICと言うらしい。
このIC。いい話しもあればもちろん悲しい話しもある。経験上病院側からあるICはいい話ではない。
じいさんは後者だっらしい。
オレが別室で電話をしている間にICを終えた家族は病室に戻っていた。まさかの話であったのだろう。ただ呆然とし、数名がシクシクしていた。
本人も呆然としていた。
タオルを頭に巻いた土方風の孫のにいちゃんは病室の入口でオレとすれ違ったが、明らかに涙を堪えてる様子だった。耐えきれないし、涙を流すのも見られたくないと言ったところだろうか。
それからは早かった。
りんごの指示をするを電話もめっきりと減り、本人もふて腐れたような感じで看護師にあたったり、わがままを言ったりする機会が増えて言った。体調も悪くどんどん弱っていくのが見てとれた。
ICが完全に裏目に出た様に思った。もはやICの時点で、じいさんには真実を受け入れ、復活してやるという活力がすでになかった。
そして、いよいよ病状が悪化して死が近いと判断され、個室に移されることになった。
今のオレなら喜んで移されたいところだが、じいさんは違った。
個室の方がナースステーション近いし、気使わなくていいし。看護師がそんな言葉をかけたとでじいさんは、
「個室なんて死ぬみたいやないか…。」
と抵抗した。
ドキッとした。じいさんはマジで一刻と迫り来る死への恐怖を表に出していた。
それから3日後ぐらい、じいさんが亡くなったことを知った。
オレは看護師に質問した。
あのICは必要だったのか?本人は無しでも良かったんじゃないかと…。
すると驚いたことに、じいさんの病気は血液系のガンだったみたいだが、本人が治療そのものを拒んでいたらしい。しんどいのがもう嫌だったのか。それは分からないが…。
つまり、今回の入院はあくまで緩和ケア、痛みなどを緩和するための入院であって、始めから治療が目的ではなかったらしい。
本人は死を選んでたってことなのか?
死を選んだ人間が、なぜあそこまで個室を拒み、死を拒んだろう。
いや、違う。
いくら準備をしていようとも、どんなに理解をしていようとも、変わることのない苦しみがある。
それが「死」への苦しみなんだ。
合掌