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世界の食事情を知ると、見えてくる教育の違いや経済や。
そして考え方の違いや、ものの価値観の違い。

日本は、教育的配慮は今よりも、昔の方が高かったことを知ります。
興味深いことに、超先進国だろうが超後進国だろうが
『生活力』の違いを知ることができます。
生活力の中でもやっぱり食事というものは、実際の差がわかりやすい。
世界の家庭では、お台所がない国もなかなかございます。
理由としては「外食が安い」という理由が大きいでしょう。
ですので、料理という自炊を実際は、出来ない人も多いということです。
近年の外国人労働者である、若めの女性たちも、驚くほど料理という自炊が出来ない人が多いのには、驚かされます。
そもそも『空腹を満たすだけのための食事』ですので、「興味を持つことすら発想がない」と言っても、過言ではないのでしょう。
以前、SNSからと言っても10年以上前ですが、ネパールの留学生という若い男性から『あなたの料理は素晴らしい』と言われ、料理を賞賛してくれました。突然でしたので驚きましたが、私は彼に『あなたの将来の夢は?』と聞きましたら『将来の夢?お金を稼ぎたい』という言葉だけだったのです。
夢というものはなく、お金だけしかないということ。

日本の子供たちは『将来は◯◯になりたい!』などは、夢があります。

ですが、その違いに気付くと、やはり経済成長の裏側が解けていきますし。食事情を知るとさらに、教育の現状も見えてきます。犯罪においてもですが。
いつも私が言葉に出る『料理は教養』というものは、必然的に教育をしっかりと受けた上での、さらなる文化人としての嗜みでもあります。教育なくては、教養はまず得られません。多言語教育に時間を取られる諸外国では、圧倒的に教育の量が日本の教育を受けた人間より足りていないと事実は、驚きましたが。教育がしっかりと行き届けば、教養ある人間として、学びを深め、知ることを掘り下げていけるものです。ですので、日本において治安が良かったという事実も、教育がしっかりと行き届いた昭和中期ぐらいからだったのでしょう。平成になり、義務教育において秩序や道徳などを学ぶ時間が低下することにより、モラルに関しても親の知識に関しても残念なこととなっております。

(コメント欄に続く)