サイババ様の帰依者には、政治家や官僚、王族や皇族、世界的に著名な医師から科学者、経済人に至るまで、あらゆるジャンルの人々がそろっているのですが、今回紹介しようとしているのは、そうした人々の中でも極めて特殊な存在である 『ウルフ・メシング』 という(1899年9月10日にポーランドで生まれ、わずか九歳の時に霊的知識を求めて家を出、その後世界中を遍歴したのちにインドにたどり着き、ヒマラヤで多くの聖者や聖賢と出会い、アートマ原理を体験するための霊性修業に励み、その結果、アートマーサーシャクシャートカーラ《真我顕現》という神聖なビジョンを獲得して帰国。1939年にポーランドがヒットラーの手に落ちると、ソビエトに亡命し、1974年にその地で没した)人についての紹介です。
主な出典は、サイババ様の少年時代の自伝を一冊の本にした『HIS STORY』
と、サティヤ サイ出版協会発行の雑誌『SAI RAM NYWS』
(NO 171)及び、1980年11月22日にプラシャーンティ ニラヤムで開催されていた第三回世界大会連でなされた午後の続講話です。
ウルフ・メシングについての情報は、ネット上にもアップされているので、参考資料として、以下の二つを紹介しておきます。
一つは、佐藤有文(1939年~1999年)著「ミステリーゾーンを発見した 四次元博物館(ベストセラーズ)」からの転載記事だと思われるもので、もう一つは、「まとめ髪白書」というブログにアップされていた2010年1月の記事からの転載です。 (なお、前者については記事そのものが転載であり、元の本の著者が既になくなっておられるので無許可のコピペですが、「まとめ髪白書」の記事については、コメント欄があったので管理人さんにコピペの許可を取ってコピペしてあります)
まずは「ミステリーゾーンを発見した 四次元博物館」からの転載だと思われる記事の紹介ですが、この記事の記述にはサイババ様の語られたものといくつか食い違う点があるので、そのの点について補足しておきます。
この記事では、ウルフ・メシングは「ロシアのワルシャワに近い小さな村に生まれている」と書かれていますが、サイババ様は「ポーランドに生まれた」と仰っています。
それともう一点、これは二つの記事に共通しているのですが、ウルフ・メシングが一人当てのない旅に出たのが11歳の時であるように書かれていますが、サイババ様は、ウルフ・メシングが霊的知識を求めて家を出たのは「1909年2月9日のことだった(つまり9歳の時)」と仰っています。
以下、ネットで検索して見つけた「ミステリーゾーンを発見した 四次元博物館(ベストセラーズ)」からの転載記事だと思われる記事のコピペです。
『20世紀最大の超能力をもった人間はだれかーそれは、四次元男の異名をもつウルフ・G・メシングをおいてほかにはいない。
1940年のある日、四次元男メシングは、ソ連の白ロシア地方ゴメリ市の劇場で超能力の
実演ショーをおこなっていた。
ところが、突然に2人の警官があらわれ、強引に彼を劇場から連れ出した。
彼は車に乗せられ、大きなホテルに到着。
警官がホテルの一室にメシングを案内すると、その部屋には、あの有名な首相スターリンがいたのだ。
当時のメシングは、世界的な物理学者アインシュタイン博士や精神分析学者フロイト、
それにガンジー首相などによって超能力をためされ、世にも不思議な四次元男として認められていた。
それを知ってか、スターリン首相はメシングを近くによんで、こういった。
「モスクワ国立銀行へいって、10万ルーブルを盗んできたら、きみの超能力を信じよう」
メシングは黙ってモスクワ銀行にいくと、いきなり大学ノートをやぶり、それを出納係の銀行員に渡したのだ。
すると銀行員は、その紙きれを何度もたしかめ、金庫から10万ルーブルの札束をだしてメシングに渡した。
しかし、彼が立ち去ったあと、銀行員は紙きれをもう一度みて、その場に気絶してしまった。
それは、ただの白い紙だったのである。
国立銀行からでてきたメシングは、外に待っていたスターリンの使者である監視員にケースを開いて、10万ルーブルの札束をみせた。
「うーむ、たしかに10万ルーブルだ!」監視員は青くなって身ぶるいしたという。
だが、メシングはいったいどうやって、その大金を盗んだのか。
そのとき彼の超能力とは、単なる紙きれを小切手にみせるーつまり念力波を発して、相手の心を自由にかえてしまう(10万ルーブルの小切手であると、その瞬間に思いこませる)超能力だったのである。
この信じがたい驚異の男ウルフ・G・メシングは、1899年9月10日、ロシアのワルシャワに近い小さな村に生まれているが、彼はロシア人ではなく、
ユダヤ系ポーランド人で、少年時代はポーランドで育った。
彼は11歳のとき、はやくも自分の恐るべき超能力を発揮し、ただの紙きれを汽車のキップにみせて、検礼にきた列車の車掌をビックリさせている。
ところで、この四次元男メシングには、いったいほかにどんな特技があったのだろうか。
第一に予言の超能力。
たとえば1937年、彼はヒトラーの自殺とナチスの滅亡を予言。
これを伝え聞いたヒトラーは、メシングの予言が100パーセント的中することを知っていたので
彼を殺した者には20万マルクの賞金を提供すると宣言。
しかも、ヒトラーは彼を恐れるあまり、彼の両親や兄弟、親類すべてをナチスに処刑させて、
メシングをおびきよせる手段としたのだ。
1939年、メシングはポーランドから逃走をはかったが、ついにナチスに捕らえられて銃殺刑を命じられた。
ーだが、処刑寸前、彼は一箇所の部屋にゲシュタポを全員集合させるように念力を発し、その一瞬のすきに脱走したのである。
そしてやはりメシングの予言は、歴史が示すとおりズバリ的中したのである。
第二は、テレパシー能力。
彼は数千ページの本を相手に勝手に開かせ、目かくしで、それが何ページであるかを百発百中であてることができた。
第三は透視能力。
ポーランドのツァルトリスキー伯爵の紛失した高価な宝石が、クマのぬいぐるみ人形のなかにかくされていたことを、わずか1時間で発見。
それを盗んだ犯人もさがしだし、25万ドルの賞金を得た。
第四には不死身の能力。
メシングは心臓の脈拍が1度停止してから3日後に蘇生。
巨大な水晶と石英岩でつくられた棺のなかに3日間、黄金の棺のなかに密封されたまま、3ケ月間も仮死状態で生きていることができた。
第五は、彼がもっとも得意とする念力の超能力。
彼は1915年にアインシュタイン博士に念力をかけ、博士に自分の口ひげを3本ひきぬかせてしまったこともある。
ところで、スターリンは、その後もメシングの超能力がどうしても信じられず、最後のテストとして、「私の部屋に3日以内にはいってきて、私の目の前に立ってみよ」と命じたという。
だが、クレムリン宮殿のなかを通ってスターリンの館に潜入するには、日夜監視をつづける数百人に秘密警察が、少しでもあやしい者は即座に銃殺するという最高の警備陣を突破しなければならない。
四次元男メシングは、まさに生か死かの決意でクレムリン宮殿の奥へと進んだ。
警備員が近づくと、彼は「私はベリアだ。私はベリア」とくりかえしながら、どんどん
進んでいった。
ベリアとは、秘密警察長官の名前で、長官とメシングの人相は目の色も髪の色も異なり、
身長さえちがっていたが、彼は、警備員に念力をかけて、長官だと思いこませたのだ。
さすがのスターリンも、彼の超能力を認めざるを得ず、メシングにソ連内を自由に旅行できる許可証を与えた。(ミステリーゾーンを発見した・佐藤有文)
以下は「まとめ髪白書」からの転載。
『ソヴィエトの超能力者で最も有名であった人物に、「ウルフ・メシング」がいます。
80年代には、彼の事はオカルト関係の記事の中でしばしば目にし、
90年代末には、「神々の血脈」という小説に、登場させらりたりもしていた
ようですが、以後は殆ど、彼の名前を目にする事はなくなりました。
彼はポーランド系ユダヤ人で、11歳頃から、自身の持つ驚異的な力を
自覚し始め、相手の考えている事を読み取り、また強く念じると、相手は
容易に催眠状態に陥り、思うままの幻を見せる事が出来たそうです。
彼に関する最も有名な話は、スターリンに求められた能力の証明として、
小切手も持たずにモスクワ銀行から10万ルーブルを引き出すのに成功した
事、そして特別許可証を持たない者が近づく事の出来ない、スターリンの
別荘に侵入する際、自らを秘密警察長官のベリアであるという思念を送り、
容易に侵入する事に成功し、スターリンも彼を認めざるを得なかったという
ものです。
80年代末に、彼について短く紹介された漫画が描かれ、丁度それが
わたくしの手元にありますので、今回抄掲させて頂きます。
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彼は11歳の時に、入学していた宗教学院を抜け出し、無一文で旅に出ます。
お金がなく、切符を買わずに無賃乗車した彼は、切符の提示を求められますが、
適当な紙切れを「これは切符である」と念じて差し出すと、車掌の目には、それが
本物の切符に見えてしまいます。
(中略)
それから彼は、アインシュタインやフロイトの前でも超能力の実験を行って認められ、
後にマハトマ・ガンジーの前でも実験を行って証明したという事です。
1937年のワルシャワ(ポーランド)で、彼は「ヒトラーがこのまま東に進めば、彼は
死ぬ事になる」と予言し、その言葉に激怒したヒトラーは、彼に20万マルクの賞金をかけます。
それからナチス・ドイツ軍はポーランドに侵攻し、メシングはソヴィエトに脱出しました。
ソヴィエトに脱出してからも、「霊的実験」として、超能力のショーを行い続けていた彼は、
1940年に突然舞台の上で捕まり、当時の最高指導者だったスターリンの前に連れて
行かれました。
スターリンはまず能力の証明として、小切手も持たずにモスクワ国立銀行から
10万ルーブルを引き出すように命じました。
メシングは紙切れを小切手に見せて、簡単に10万ルーブルを引き出してしまいます。
次は、秘密警察に警備され、特別許可証を持たない者が近づく事の出来ない、スターリンの
別荘に侵入する事を命じられます。
彼は自らを秘密警察長官のベリアであるように見せて、容易に侵入し、スターリンも
彼の力を認め、国内を自由に旅行する許可を与えます。
彼は75年に亡くなりましたが、彼が戦争が終わった後も、ソヴィエトで生き続けた真の
動機に関しては不明で、一説には、スターリンが超能力者を管理する秘密組織を
つかんでいて、メシングの動きを封じたとも言われています。』
以上がネットで拾った記事のコピペで、以下が、サイババ様の語られたウルフ・メシングについての紹介です。
サイババ様の御講話によれば、ウルフ・メシングがサイババ様に最初に会ったのは1937年(サイババ様がまだご自身のことを「サイババである」と宣言する前の、ラジューと呼ばれていた11歳の時)で、場所はカマラープラムという、一日に停車する列車が1台か二台しかない駅のすぐそばだということです。
その時サイババ様は、子供たちと駅のそばに座り、子供たちのいろんな質問に答えておられたということです。
すると、列車がやってきて、その中から窓越しにサイババ様を見ている、ひとりの外国人の姿がありました。
それがウルフ・メシングでした。
メシングはサイババ様を見ると興奮を抑えきれないようすで、列車が完全に止まるのを待ちきれずに飛び降り、転んでしまいました。
それを見た子供たちは「足を骨折したのではないか」と心配しましたが、サイババ様は「心配はいらない」と、何の怪我もしていないことを保証し、こう告げられました。
「あの人はただ僕に会いに来るだけだ。だから、あの人は何も危険な目に会うことはない。落ち着いて静かにしているんだ」
この時サイババ様が、仲間の子供たちに「あの人はただ僕に会いに来るだけだから、落ち着いて静かにしているんだよ」と告げたのにはわけがあります。
そのわけとは、その当時のインドは西洋列強国の植民地で、見知らぬ西洋人が子供たちに突然近づいてきた場合は、連れ去られて軍隊に入れられるのではないかと恐れられていたからです。
メシングは、荷物は何も持っておらず身一つでした。
メシングは、サイババ様を見つめながら、歓喜の涙を流していました。
(ちなみに、こうしてサイババ様の前で涙があふれてくることは我々にとっては、ダルシャンあるあるで、驚くほど多くの人が経験していることです)
メシングがサイババ様に近づいてくるのを見た学友のラメーシュ(地元の有力者の子供)は、サイババ様がこの外国人にさらわれるのではないかと心配になり、家に向かって駆け出し、家に着くなり父親に「お父さん大変です!今、外国人が列車から降りてきてラジューをさらおうとしています」と告げ、すぐにジープで助けに行くように頼みました。
彼の父親は、すぐにジープで駅に駆け付け、サイババ様を抱えて家へ連れ帰りました。
ウルフメシングはそれを最初呆然と見送っていましたが、その後家までやってきて、長いこと家の前で座っていたということです。
そして、窓越しにちらりとでもサイババ様の姿が見えると、挨拶し、サイババ様に何かを伝えようとしました。
しかし家の人たちは、ドアと窓を全部閉め切って、二人の間を遮断しました。
(おそらく、ウルフ メシングがその気になれば、家の中に入ることは可能だったはずですが、真にヨーガの力を得ている人は、サイババ様がいかなる存在であるかが十分に分っているので、サイババ様の許可が無い限り、サイババ様の与えたもので満足し、自分の欲望にまけるようにしてドラマの筋書きをこえて何かをしようなどとはしません。
ただ静かに、サイババ様の許しが出るのを待つだけです。
それが神の意志であり、自らの過去世のカルマが作り出している運命だからです。)
メシングは、その後しばらくして、駅に戻り、列車に乗ってどこかへと旅立ってきました。
家の前を立ち去る前に、メシングは、持っていた鉛筆で玄関のドアにこう書き残していたと仰っています。
「神性の化身である少年を自宅に留め、その少年に仕えるとは、あなたは極めて幸運です。私はそれほど幸運ではありません。私はこれぐらいの恩寵しか受けるに値しません。ありがとう」
メシングはその後だいぶ経ってからインドへやってきました。
そしてカマラープラムに行き、かつて出会った神性の化身である少年について尋ねました。
地元の人たちは「今彼はグルになっている。名前はシュリ サティヤ サイババで、プッタパルティかバンガロールで会えるだろう」と教えてくれました。
メシングはバンガロールのホワイトフィールドにあるアシュラムで他の信者の中からサイババ様と再会します。
そしてメシングは心の中で思いました。
「あの方は私がずっと昔にカマラープラムで見た方と同じ人物だ。あの時と同じ神聖な光がここでも、燦然と輝いている」と。
メシングはその後、ブリンダーヴァンの大学の学長ナレンドラーに会いました。
その場には、裁判官である彼の父親と著名な医師である義父も同席していました。
メシングは彼らにこう語りました。
「スワミはまさしく神御自身です。今、スワミは真の姿を顕現してはおられません。あなた方は、スワミの普通の人間の姿しか見ることができずにいます。もしスワミの周りのオーラが見えれば、スワミの本質を認識することでしょう」
その後に、サイババ様はメシングにインタビューを与えられ、その時メシングは「私の愛おしいお方! あなたは私のすべてです。私はあなたの道具です。あなたは私のすべてです!」と言って涙しました。
サイババ様はその後で、メシングに「見せることになっていたたもののすべてを見せ、話すことになっていたもののすべてを話して聞かせた」と仰っています。
その後メシングはロシアに戻り、学長のナレンドラに一通の手紙を送りました。
その手紙にはこう書かれていたということです。
『神御自身の手によって設立された教育機関で働くことになっていらっしゃるとは、あなたはなんと幸運なのでしょう。どうか私に時折手紙を書いて、スワミの神性リーラとアヴァター(神の化身)の機関について知らせてください』
そんなある日、サイババ様とナレーンドラが一緒に座って話をしていたとき、その場に突然メシングが現れ、サイババ様を一目見ると、来たときと同じように、どこへともなく消え去ったということです。
「それは、万人が目撃することはのできない大いなる奇跡でした。その現象は、私が説明を試みたとしても、万人に理解できるものではありません」
サイババ様はそう仰っています。
サイババ様は2002年8月30日の講話でさらに詳しいメシングのエピソードを話しておられます。
それによると、メシングは生まれた時から神聖な光を放っていたということです。
これは彼が前世において、すでに、ほとんど完成されたヨーギとしての修業を終えていたことを意味しています。
このときの人生は、前世で到達できなかった、最期の境界線を越えるための人生であったことを・・・。
しかし彼が神聖な光を放っていたのは霊的な領域の話であり、物質的、この世的な部分しか見えない周りの大人たちには彼の言動は精神疾患がある子供か、知恵遅れの子供のようにしか見えず、彼の両親はメシングを精神病院か知恵遅れの子供のための学校に入れようとしていました。
そうなれば苦しむであろう彼のもとに、ある日、白いローブを着た背の高い人物が現れ、メシングをそばに呼んでこう語りかけたということです。
(私見ですが、この人物はシルディサイババ 👇 と思われます)
「おじいさん。おじいさんはどこから来たの?」
メシングがそう尋ねるとその人物はこう答えたということです。
「それについては後で話そう。坊やの両親は、坊やを精神病院か知恵遅れのための学校に入れようとしている。学校で教える知識や、世俗の知識は坊やの興味を引くことはない。霊的な知識を求めなさい。わしはこのことを君に話すために来たのだ。わしは来た場所に戻る。決してわしの言葉を忘れてはならない。世俗の知識に関するものを得てはならない。霊性の知識だけを得るのだ。君は幼い。ある段階に達するまでは誰とも交わってはならない」
その教えは、彼を精神疾患か知恵遅れだとおそれた彼の両親が、彼を、なかば家に監禁するようにして世間から隠したせいで結果的に守られました。
そして時がたち、彼が9歳の半ばになった1909年2月9日、彼の中に突然「霊的知識を探究しに行きたい」と思いが逆らい難いものとして湧き起こってきました。
メシングは、それまで教えられてきた浮世の知識に満足していなかったからです。
彼の脳裏には、以前家の玄関の前に現れた老人の言葉が思い出されていました。
そして彼は、家の戸棚の中から硬貨8枚を探し出し、それをポケットに入れて、自分がどこへ行こうとしているのかもわからないままに広い世界へと旅立っていったということです。
彼はお金を持っていませんでしたが、全世界を回る間、彼に切符や切符を買うお金のことを聞いてくる者はいなかったとサイババ様は仰っています。
以下はSSIOJにアップされていたサイババ様の御講話のコピペです。
(ちなみに、ウルフ・メシングの写真は、私が探した限りではネット上にはありませんでしたが、サイババ様の少年時代の伝記である『HIS STORY』(サティヤサイ出版協会)という本の96ページに一枚だけ載っています)
『1917年から、ロシアにおいて、主にスターリンによって物質主義と無神論が奨励されました。しかし、スターリンは反対勢力を完全に抑えることはできませんでした。ウルフ・メシングという名の強力なスピリチュアルな人物〔1899-1974年。特殊な能力を備えていたポーランド生まれのユダヤ人で、迫害を逃れて1939年にソ連に亡命した〕が現れ、浄化された意識と、神聖な特質によって印された眼識を示したのです。スターリンはメシングを引きずりおろすことを計画し、メシングをヒトラーのもとに送還しました。メシングは祈りました。
「主よ! 私はただひたすら、あなたの栄光を地上に広めようとしているのです。ですから、私はあのような邪悪な人々の戦略を恐れてはいません」
ヒトラーのもとに送還される途中、メシングはウィーンでアインシュタインに出くわし、また、人の心を研究していた科学者のフロイトにも出会いました。フロイトは、メシングとメシングのもつ力に驚き、自分の研究が浅いものであることに気づき、人間のもつ最高レベルの意識を探求することに興味が向きました。スターリンはフロイトとメシングに感化されましたが、これまで築いてきた自分のイメージを壊したくはありませんでした。スターリンは、物質的、無神論的な状態に落ち着くという安易な道を歩み続け、若者たちの心に無宗教を植えつけました。
この体は、明日55歳に至ります。私は今日まで、この出来事を、どこにも、誰にも明かしませんでした。それは1937年のことでした。この体はその時11歳でした。私は当時、取り巻きの少年たちのグループと一日中行動を共にしていました。私はそのころ、カダパ県のカマラープラムにいました。その日、私は少年たちといっしょにカマラープラムの駅の近くにいました。ある人物が私を見て、私のもとに駆け寄ってきました。そして、
「アイム ソー ハッピー、アイム ソー ハッピー」(私はとても幸せです)
と言いながら、私を腕に抱き、キスをしました。頬には涙が伝っていました。その男は大喜びで狂ったように踊りながら、「アイ ラブ ユー、アイ ラブ ユー」と繰り返していました。そのすべてを見ていた私の仲間たちは、こう怪しみました。
「この白人は誰だろう? どうも頭がおかしいようだ。最後には誘拐しようというのだろう」
私たちがそこを立ち去ると、その男はその場に立ちつくしたまま、私が視界から見えなくなるまで、物欲しげにずっと私を見つめていました。それはメシングでした。
メシングは、アートマ原理を確認して実感認識するためにインドに来ていました。メシングはそれを目的に、さまざまな霊性修行に着手しました。その結果、メシングは神のヴィジョン〔神が姿を顕して見せること〕を得ました。メシングは、ガンジーや、ヒマラヤで苦行を積む大勢の聖人に会い、自分が切望していたものを勝ち得たことに満足して、自国に戻りました。
自分が探さなければならないものを知り、それを追い求める者だけが、ゴールに達することができます。ブラフマンの本質を知るものだけが、ブラフマンの本質を認識することができます。メシングはずっとアートマを心に想っていたので、自分はその意識に到達したと公言できたのです。メシングは、スターリンの国は崩壊すると述べ、その予言どおり、その直後にフルシチョフが国を転換しました。
キリルという写真家も、その変革を助けました。キリルは南ロシアの黒海沿岸にあった自分の現像所で多くの実験をしました。キリルは、人間の体の周囲に存在する多色のオーラは、認識可能であり、写真に写せることを実証しました〔キルリアン写真〕。キリルはオーラの存在を知らなかったため、既知の物理の限界を超えたところに到達しました。人間のオーラ、植物のオーラ、昆虫のオーラ、石のオーラが、キリルのカメラによって捕らえられました。キリルは、「このすべてはイーシュワラ〔至高神〕に包まれている」(イーシャーヴァースヤム イダム サルヴァム)というヴェーダの言明は真実であることを証明したのです。
無神論者は有神論者に変わる
あるとき、キリルは列車で旅をしているときに「空飛ぶ円盤」を見ました。そして、人間の理解を超えた世界が存在するのだと断言しました。キリルは遠くの惑星にも生命が存在すると断定しました。キリルは天の川の近くの別の銀河系にも生命が存在すると主張したのでした。こうした展開はすべて、片や物質主義が一般大衆の指示を得ている一方で、道徳性や人間性、スピリチュアリズムへのより深い確信も、同様に人々の心をつかんでいることを示しています。何年かのうちに無神論者が有神論者に変わることに疑いはありません』
(1980年11月22日午後プラシャーンティ ニラヤムにおける御講話より抜粋)
(サイババ様の御言葉)
「神の御姿とはどんなものでしょう?
それは到達できず、理解を超えているものです。
神の御姿はどんなものにもなり得ます。
例えば、風や水の姿形は何でしょう?
皆さんは、水を見ること、風を感じることはできますが、水や風に形はありません。
それはいつ形を得るのでしょう?
風船の中に空気を入れれば空気はそれに伴って形を取ります。
水は水が入って居る容器の形を取ります。
同様に、姿形を持たない神は、信者が大切に心に抱く御姿を纏うのです。
信者の感情そのものが、神の御姿です。
こうした神の御姿を知るためには、瞑想が奨励されています。
神は何であれ、信者が瞑想しているときの感情の具象として現れます。
もし神は「慈悲深い」と思うなら、神は慈悲深い姿で現れます。
もし神は「破壊的である」と思うなら、神は破壊的な姿で現れます。
つまり、神の御姿はすべて、皆さんの感情次第なのです』
(1955年5月20日サティヤサイ大学ブリンダーヴァン校での御講話より抜粋)
今回の記事は以上です。
ではこれにて失礼します。
サイラム <(_ _)>
今回のおまけ
サイババ様が肉体を離れられた後のアシュラムの様子 👇
かなり昔にインドで制作されたシルディサイババ様の伝記映画のワンシーンがちりばめられたyoutubeの動画。 👇
映画そのものは、版元から寄贈され、以前SSOJで翻訳吹き替えしたのちに、SSOJからVHSで販売されました。
