グリンピースご飯を炊きました

亡き母の好んだご飯です

 

母を介護して

病院通いをしていました

何時間も待って診察が終わると

和食の店で遅い昼食を

いただきました

好みのものだけを

食べた母でしたが

初夏には

豌豆ご飯をよろこびました

 

女学校を卒業して

助教諭として勤め

戦後は県教委主宰の

通信教育と夏休みの講座に通い

教諭の免許をとって

小学校教諭として勤めました

 

父は三十代で病に倒れたので

半身が不自由になった父を

介護しながらの教員生活でした

祖父が保証人になった銀行員の

使い込んだ借金を

祖父にかわって返し終えました

 

同居した孫の守りを担い

「同年代の友達が

 遊びに誘ってくださっても

 毎回断るので

 このごろはだれも誘ってくださらない

 寂しいものやわ」と

話したこともありました

こんな母も

九十二歳で亡くなりました

 

わたくしは

後期高齢者になりますが

「生きることは

 覚悟と忍耐だなあ」などと

思うこともあります

国民年金と

教員の年金をいただいて

不自由せずに暮らしていけるのは

姑が子どもの

世話をしてくださったからです

お佛飯に豆ご飯を供えながら

感謝しております