人を批判するのはたやすい。

 

批判されるのは大概頑張って成果をあげようとした人か、

失敗を恐れずにチャレンジした人であることが多い気がする。

 

または、空気を読めず、無神経な言動を行ったりする有名人であることも多いけれども、

これはまあ、有名税というかとりあえずおいておいて・・・。

 

後者はともかく、

 

前者の場合、不思議となんの行動もせず傍観者であった人こそやたらと批判を展開する傾向にあるのはキノセイかな?

 

批判をすることで自分に攻撃の目が向くことを避けようとする心理もあって

なんとなくいじめの構造に似てるね。コンプレックスの裏返し。

 

問題は、先頭切って批判する人だけじゃなくて、

周囲の多くの人がその流れに乗っかって非難の声を上げ始めることにあると思う。

 

なんでかっていうとなんとなくその場の空気で、

自分も一緒になって批判したり批判している人に賛同の意を表することで

間接的に攻撃者なる人が増えると、

 

批判する以外の考え方を持つことが難しくなってしまうっていうか、

 

例えそうではないと思っていても、

自分の意見を言えずに攻撃に加担していってしまうことだと思うんです。

 

それが正しいかそうでないかを考える事ををやめちゃって、

「お前も当然賛成だよな?なっ?」みたいな雰囲気で、

 

「私は違う」って言えなくなってしまうと、もうそこから先は流されるままになっちゃう。

 

こういうのって、実はすごく怖い可能性を秘めていて

 

思考停止していると、いつの間にか自由も何も無くなって、

そして多くの場合、本当に批判されるべき存在は批判されることもなく

 

いつの間にか「悪者」の存在は本来の原因から遠いところに固定されてしまう。

人々はしばらくすると自分たちが葬り去った存在を忘れ、

また新たに作り出される「悪者」に攻撃の手を向けるようになる。

歴史はこれを何度となく繰り返していることだよね。

 

この世の中で成功者と言われる人達は、

この多くの人々の心を掴むのに長けていて、ほとんど才能と言ってもいいくらい

 

人々からの賛同を得られない人は、

仮に正しい事をやっていても成功者として物事を達成することは難しいし、

 

人々を動かす強い熱量を持った人こそが、

これからの世界を引っ張るリーダーであるべきだと思う。

 

人を動かすには、色々なテクニックだとかがあると言われるけど、

結局のところ本音で腹から語る人の言葉に心動かされるもので、

 

自分もそういう人間を目指して日々勉強を続けているます。

 

世界の人々が優しく、明るく、幸せな生活を送れるよう、

 

一人でも多くの人に自分で立って歩けるようになる力を見つけてほしい。

 

そのために自分ができることは小さいかもしれないけれども、

たった一つのさざ波でもいいから起こし続けていきたいと思うのです。

 

 

話は変わるけれども

 

芸人の岡村さんの発言がずいぶんと批判を浴びているようですね。

発言の内容から、多くの方に不愉快を感じさせ、彼の発言は「女性蔑視」とみなされました。
公共の電波を使っている以上、自分の話の内容にもう少し気を使うべきですね。


まあ彼を擁護するわけではないですけど、


岡村氏を批判している人の中に、本気で「落ちていく」女の子達の事心配してる人って
どのくらいいらっしゃるんでしょうかね?
風俗産業は男性による性的搾取であって、女性蔑視だという捉え方している方からは、
風俗業に就いている人って「可愛そう」としか見えないのかもしれませんね。

 

まあ僕も上で「落ちていく」と書いたんだけど、実際のところ、ひと昔前のヤクザ映画でもなければ風俗に無理矢理っていう女の子は少ないと思います。少なくとも僕が集客の相談に乗っている女性たちは、やむを得ないという事情はあっても自分の選択でこの仕事をしているでした。なので、風俗はかわいそうっていう考え方はちょっとなじまないですね。


むしろ批判すべきは、岡村氏の発言よりも、社会保障の現状であって、既得権益を守ることに
必死な政府や官僚達なんですけど、批判は批判として選挙で示しましょう。批判ばかり展開しても仕方がないし、文句はいくら言ってもお腹膨れません。今必要なのは困窮している方への公的支援ももちろんですけど、支援は国や自治体任せでなく、少しでもゆとりのある方々からの善意の支援金も助けになると思います。直接行動するのは難しくても募金という形であれば貢献しやすいし、できると思います。

 

岡村氏をネットで批判することに血道をあげるくらいなら、困っている方の支援活動の署名運動したほうがいいよねって人は下記のリンクからどうぞ。
 

https://futeras.org/

 

まだまだ支援活動継続中

昨日の晩になんとなくツイッターを眺めていたら

コロナウイルスの呼び方が武漢ウイルスに変えられて返信されてきた、それが気に入らないので取引を中止にしたっていうツイートがあったんです。

 

このつぶやき自体は特に触れる必要も無いので埋め込みとかしませんけど、理由は後で言いますね。

 

1.3万リツイートあるんです。すごいなっていうか、

このスレッド、この後、病気の呼称が差別的かそうでないか問題に発展していくんですね。

 

病名に地域名を付けないようにしないとそこから差別始まっちゃうからやめようって、WHOの定めたルールがあるんだそうですけど、みんな良く知ってますよね、普通感心がなければ知らないけど・・・。

 

というか、この方自身、取引先を差別主義者と断定して、取引を断ってしまうって話で、うん、差別問題とか性別問題に正義論を混ぜたツイッター発言するとバズりやすいんですよね。

 

僕自身はこの議論に参加するつもりはないので、この記事を書くために少し覗いてみたくらいです。なのでこの記事は、この手のツイートはエネルギーごっそり持っていかれますので興味本位で覗くのは辞めた方がいいですよっていう注意喚起です。

 

事実として、このツイッターのようなメールのやり取りがあったのかどうか分からないし、

個人の思想や信条を理由に取引を切るなんてことが本当にあっても、それが好き嫌いであっても仕方ないし、取引先のエライ人を怒らせて取引中止になるなんて話は良くある話。理由はなんでもいいんですよ、態度が気に食わないとかそんな理由もしょっちゅう聞きますし。

はっきりしない理由で切られちゃうその取引先は、相手にその程度のメリットしか与えていなかったてことだし。。

 

話がずれた・・・

 

政治問題や、フェミニスト問題、人権問題、性別問題でバズってるツイートって、基本見なくてもいいというか見ない方がいいですけど、どうしても見るときって、少し気を引き締めて臨んだ方がいいです。

 

なぜなら、こういったデリケートな内容に触れるツイートって、必ずと言っていいほどマイナス方向に感情や意識が持っていかれる流れが産まれるんですよね。

 

そういう負の感情を生みやすいんです。それぞれの主張が良い悪いじゃなくて、本質的にはそれぞれ好むか好まないかっていう事でしかないんだけど、それにもっともらしい理由をお互いが付け合って喧嘩しつづけているだけなんです。

 

これって自己充足感を満足させる方法の一つです。言い方変えると、エネルギーの足りない方が手っ取り早く大量のエネルギーを集める方法だとおもってます。

 

定期的にというか、けっこうしょっちゅうこういうツイートあるんだけど、自作自演的な、事実かどうかわからない、負の属性を持ったストーリーであることがほとんどです。基本的に見る必要はないんだけど、つい見てしまったりすると、なぜかどちらかの意見に対して強い怒りを感じてしまったりしませんか?

 

ぽやっとしているとエネルギーを持っていかれちゃいます。

 

今の時代、特にネットにはたくさんエネルギー吸い取ろうとする存在がいて、それはもうハムナプトラのイムホテプが落ちていく冥府の亡者のようで割とまじめに怖いなと思います。

 

背骨のあたりにいや~な感触を感じる記事は読まないようにしましょう。エネルギーもったいないです。

 

それと、もう一つ。大事なことなので

 

このツイートは差別に非常に強くフォーカスしているものです。なるべく見てほしくないので、リンクも埋め込みもしなかったんです。サボりじゃないです、本当の理由って実はそこにあるんです。

 

ある出来事に強く意識を向けると、自然とその出来事に同調してしまうんですね。脳の共感力ってすごいものがあるので、こういうツイートに限らず、あまりよろしくない気に満ちているところには近づかない方がいいです。心霊スポットとか事件現場、あと、満員電車もできるだけ近づかない方がいいです。

 

通勤で電車に乗らないとならない方は、しっかりと心にバリアを張ってエネルギー吸い取られないように防御力アップさせてから乗るといいですよ~。「私はこの場(満員電車)の影響を受けない!」ってね。

 

 

 

小さな手をしっかりと握って産まれてきた君たち。

 

出会えて本当に良かった。

 

生きる一番の喜びを感じさせてくれたね。



いつの日か君たちも、僕らがそうだったように、

いろんな冒険をして、悩んで、喜んで、悲しんで、怒って、笑って、恋をして、

 

そうやって少しずつ君たちの世界は広がっていって、いつか大勢の中から君を見つけて選んでくれるパートナーに出逢うだろうね。

 

その時こそ、君たちが新しい物語を始めるときだよ。
君のパートナーは君を幸せにしてくれるかな、君はパートナーを幸せにできるかな。

でもきっと大丈夫。

 

だって、その人は独りで歩き始めた君を選んで、人生を共に歩んでくれる事を選んだ、君の大切な人なのだから。

産まれたときから今まで、ずっと僕らの側をくるくる回っていた君たちが、僕らから離れていくのは寂しいけど、同時にとても嬉しい事でもあるんだよ。

僕らの人生はじきに終わりを迎えるけど、それは悲しいことじゃないよ。

 

だって、

 

僕らの命の一部はしっかりと君たちの中で生き続けているから。

遠い祖先からずっと受け継いだ命の火は、

僕らの親から僕らへ、

そして君たちから君たちの子に、

 

そのあともそのあともずっと続いていくんだ。絶やすことなくどこまでも。形を変えても色を変えても構わないからどこまでもつづけよう。

 

それが僕らの願いであり、祈りなんだ。

僕らはその命の火を最後まで見届けることはできないけれども。

いつの日か、大きな命の流れの中で再会できるときがきっとくるから。

 

だから悲しんではいけないよ。君たちが君たちの命を大切にしてくれることが僕らにとって何よりも一番嬉しい。だから笑って見送ってほしい。

いつかその日が来るときまで、、