サイババが帰って来るよ -3ページ目

サイババが帰って来るよ

地球の大掃除の後、素晴らしい千年至福の時代ゴールデンエイジがやって来るのをお知らせするブログです。

ポニョ:南インドはおいらにピッタリ合っているな。風土も人も気候も好きだわさ。

ヨシオ:今どこに居てるんや。

ポニョ:南インドの大きな寺院がある門前町をあちこち回っているんやぜよ。この前はチッダムバラムというところでゆっくりしたな。寺院の周りのレストランは菜食やから、おいら達にピッタリやぜよ。

ヨシオ:また、食べることか。そこのレストランが気に入ったから、そこでゆっくりしているんやろ。

ポニョ:ピンポーン。何と言っても安いし美味い。バナナの葉っぱがお皿なんやけど、食べ終わるとそのバナナの葉っぱを入り口の横にある手の洗い場の小さい穴の中に捨てるんや。穴の中に何があるんかなと思って覗いたら、大きな象さんが、その葉っぱを美味しそうにムシャムシャと食べていたのでびっくらこいたぜよ。

ヨシオ:それってすごいエコやな。後進国の方が無駄がないよな。先進国って実は先進ではなくて、ゴミの無駄ばかり作っているんやろな。

ポニョ:面白かったのは、食堂の横の路地で男たちが座り込んでいたので何をしているんかなと思って見てたら、ションベンをしてたんや。こっちは立ちションしないねんな。おいらも真似をして座ってやったけれど、地面にションベンが跳ね返ってズボンが濡れたぜよ。

ヨシオ:あのな何をやって喜んどるや。ポニョは。そっちはドーティという腰巻きをつけてるから大丈夫なんや。ズボンを履いて座ったままションベンするなよ。汚ねぇなポニョは。

ポニョ:ところでそっちはどうや。暫く連絡が取れなかったけれど。

ヨシオ:久々に息子の21歳の誕生日を祝って、アンナラクシュミニ レストランへ家族で行ったな。三年ぶりかな。その前はお袋と嫁さんの為に母の日に家族で行ったんや。

ポニョ:アンナラクシュミニか。美味しかったな。シンガポールで行ったけどスタッフがいつもニコニコしているし、料金は客が決めるってすごいよな。しかも完全菜食やし。

ヨシオ:パースのアンナラクシュミニはスワン川に面していて、夕陽を見ながら外のデッキで食べれるんや。空の色がだんだん変わって行くのを見ながら食べるのが良かったな。そのあくる日は、暑い日だったのでクージービーチに嫁さんと泳ぎに行ったんや。沖合いに浮かんでいる飛び込み台の横を泳いでいたら、視界の隅になんか黒いものが見えるから泳ぐのをやめて見ると、ほんの五メートル程離れたところに、三角形の大きな背びれが水面に飛び出していたんや。

ポニョ:鮫と違うんか。おいらがいた時も、日本人がビーチでサメに食われたぜよ。めちゃびびったやろ。

ヨシオ:俺はすぐにサメの中にいる神さんを見ようと、その三角形の大きな背びれの方に向き合ったんや。するとそのすぐ後ろから、またもう一つの背びれが現れたんや。俺はああ二匹もいてたんか。と思った瞬間、その二匹は顔を水面に出したんや。なんとイルカやった。

ポニョ:ああ良かった。サメと違って良かったな。びっくらこいたぜよ。イルカ君たちが挨拶に来てくれたんか。それじゃ二匹じゃなくて2頭やぜよ。おいらがそのビーチに行った時には、アザラシが砂浜に寝そべっていたな。

ヨシオ:アザラシの身体の表面に白い斑点のようなものがいっぱいあるやろ。あれは何か知ってるか?

ポニョ:さあ。考えたことはないぜよ。皮膚についていた苔かなんかが取れたあとか?

ヨシオ:いや、あれはアザらしい。

ポニョ:ハッハ。久々の親父ダジャレやな。でも、オーストラリアの海岸は自然が豊富でええよな。おいら達もコモリン岬の近くで、ババが一日中遊ばれた海岸に行こうと思っているんや。ついでに108個の真珠を出された海岸にも行こうかな。

ヨシオ:南インドはどこに行ってもババの足跡があるからええよな。オーロビンドのアシュラムやヴェンタカタギリの宮殿も近いやろ。

ポニョ:オーロビンドの聖者さんは、ババが生まれた時に、クリシュナがこの地上に再び生を受けられましたので私は何も話すことが無くなりました。と言って、それから無言の行をされたんやろ。すごいよな、聖者の霊眼って。

ヨシオ:その聖者さんは卓球が趣味で、この世に人の身体をとって現れた神の化身と卓球をしたいな、という欲望を持っておられたんや。もちろんババはその願いを知っておられて、ある日その聖者の元を訪ねられて、卓球台がある小屋に二人で入って行かれたんや。

ポニョ:どっちが勝ったんやろな。スマッシュなんかするんやろうか。それとも、前後や左右に揺さぶってドロップショットなんかして、意地悪な事もするんやろうか。こら!てめえ!愛の化身と言われているのに汚ねえ真似をするじゃねえか。覚えておけよ。リベンジじゃ。このスマッシュを受けてみろ。スマッシュなんかロビングで返したら簡単じゃ。では、このロングピンプルのユラユラナックルサーブを受けてみろ。お前にはこのサーブは十年早いかのおー。ワッハッハ。とかなんとか言って血みどろの戦いをするんやろうか?一度見て見たいぜよ。神の化身と聖者の卓球の一騎打ち。

ヨシオ:そんな真剣に卓球をする訳がないやろ。ただのピンポンや。

ポニョ:そうか、ババが卓球をされるんか。面白い。そういや、ヴェンタカタギリにババが滞在されていた時も、ババが卓球をしようぜ。と言われて宮殿のホールで皆で卓球をして遊ばれていたな。写真もあるぜよ。

ヨシオ:その写真は俺も見たことがあるな。スイングのフォームは良くなかったけどな。素人やね。でもとても楽しそうやったな。

ポニョ:そうそう、あんたの長男さんは卓球はプロ級やったな。バタフライの卓球道場にオーストラリアから招待されたんやろ。愛ちゃんとも試合をしたって言ってたな。

ヨシオ:でも、ドライブをかけ過ぎて腰を痛めて辞めたんや。

ポニョ:なんでもやり過ぎはいかんぜよ。ばか力で勝てるもんでもないしな。そう言えば、ヴェンタカタギリの宮殿に滞在されていた時の面白いエピソードを聞いたぜよ。その頃ババの事を面白く思っていない人がたくさんいて、わざとババがおられるところに大きな暴れ牛を持ち込んで、ババがされていた行事を邪魔しようとしたんや。すると突然、何処からともなくなく男が現れてその暴れ牛の前に立ち、角を両手で掴んだと思うや否や、その大きな牛を十メートルも投げ飛ばしたんや。牛は投げ飛ばされた後、何事も無かったようにそこを立ち去ったんや。ババはそれらをニコニコして終始見ておられたんやて。

ヨシオ:ヘェ~そんな大きな牛を十メートルも投げ飛ばしたんか。それはすごいな。ババが男をそこに出現させて投げられたんやろな。

ポニョ:また、こんな話も聞いたぜよ。南の方からババの事を誤解して、ババの邪魔をしようとしにチンピラ達がやって来たんやて。そのチンピラ達がやって来た途端、ババは怒りの表情をしたハヌマンに姿を変えられたんやて。しかも背丈が六メートルもある大きなハヌマンに。それを見てほとんどの人はその場で気を失って倒れたんやて。

ヨシオ:それは驚くよな。でもそんな話は初耳やな。どうしてあまり広まらなかったんやろな。

ポニョ:いや、それがこの話は、それから何ヶ月も人々の間で大きな話題となっていたんやぜよ。

ヨシオ:本に載っていないそういう奇跡は、掘り返せばいろいろ出て来るんやろな。

ポニョ:おいらが面白いと思ったのは、ヴェンタカタギリの宮殿の近くの公園に、みんなでピクニックに出かけた時の話や。その公園には、アメリカからちょうど平和部隊の若い青年たちが来ていて、その中のスタンレーという名の青年が、アフロヘアの若い聖者さんがたくさんの信者たちを引き連れているのを見て、興味本位に一緒について来たんや。ババはスタンレー君に君は何が欲しいんだい?と聞かれたんや。スタンレー君は、僕が欲しいものは…とちょっと考えてからメルセデスを下さい。と言ったんや。

ヨシオ:メルセデスってベンツの事やろ。そんなもんババが手をクルクル回されて出される訳がないよな。

ポニョ:そうやんかな。でも、ババは「それをプレゼントしてあげよう。」と言われたんやて。それから数年後、また、そのスタンレー君がヴェンタカタギリの宮殿に挨拶しにやって来たんや。その公園にピクニックに一緒に行った人はスタンレー君の事を覚えていて、「ああ、あの時のババ様にメルセデスが欲しいって無理なお願いした人やね。」と言って話してたんや。そして、「ところでババ様は神様やから言葉として出たことは全て実現するんやけれど、君が頼んだメルセデスは得ることが出来たんだろう。ババがプレゼントしてあげようと言われたものね。」と言ったんや。スタンレー君は、「いや…あの時は冗談で言ったんです。だから、その…まだ僕はババからメルセデスをプレゼントしてもらっていませんが…。」と言ったんやけれど、しばらくしてから、「あゝ、ひょっとしたら!」と叫び、「僕は最近結婚したんですが、嫁さんの名前はメルセデスと言うんです。」と言ったんや。

多くの人々は、私の言葉を重視せず軽く取っています。
これは正しいことではありません。
私が話すことは、例え私が軽い調子で話し、冗談として話したとしても、全て真理であり真理のみなのです。
しかし、人々はそのことに気付いていません。
肉体的にスワミの近くにいる人でさえも、このことを正確には理解していません。
その結果しばしばスワミの言うことを無視しています。
私の言葉を真剣には受け取らず、スワミは軽い調子で話をしたのだと思っています。
そして、私の言葉が真理である事を後でそれが現実となった時にようやく気付くのです。
人は未来のことを何も知らないので、私の言葉を軽く受け取ります。
けれども、私の言うことが全て本当だということが将来判明するでしょう。
そうして初めて、人は私の言葉を理解することが出来るのです。
眼の前で、私が歩き、話しているのを見、起こっている事を全て目撃しているのにもかかわらず、人々は私の言葉を理解することも、私の神聖さを認識することも出来ずにいます。
人々の多くは、私の言葉を冗談でかたづけます。8/08