僕がビーフチキン精肉店で働いている時代に、フードロス問題について職場の人達とは考え方が全く合わないという事に気付きましたこの見識の違いを知るに至った内容としては「自分の食いかけのお弁当の残りを持って帰る」という事が何回もあったからです
宣伝になりますが僕が良く食べていたお弁当というのが、高知県野市町の高知信用金庫の西側にあり七福の北にあるあかねちゃん弁当(看板ナシ)の大盛りお弁当でしたおかずの種類もかなりあるし御飯もギュウ②に入っているのに、大盛りが570円というコストパフォーマンス抜群の商品でした
最初ビーフチキンで働き出した頃は筋肉もそれなりにありましたので、毎日完食していたんですよ(筋肉が多いと普通の人と同じ行動をしても消費カロリーが多くなります)
![ハンバーガー](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/079.gif)
![オッドアイ猫](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/463.png)
![雨](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/021.gif)
今まで働いた中では一番スピードを求められる職場ではありましたが、そんなにカロリーを消費する仕事内容では無かったのです特に重たいものを持ち上げたりもしないし・冷暖房の効く車
に乗っての配達や・夏はクーラーの聞いた職場環境だったのでそれも相まってか筋肉が減少しました(@_@;)
そしてその残飯弁当を持って帰る僕の姿を見たみなさんからは、以下の様に評価されました。゚(゚´Д`゚)゚。
あんた、これネコにやる御飯の残りみたいなねぇ~
ゴミ箱から拾ってきた誰かの食いかけの弁当みたい
ホームレスが食べる(廃棄)弁当の方がまだマシぞ
その弁当はもう雑菌が湧いているから捨てたらどうな?
・・・僕が間違っているのでしょうか?でも僕は「食を大切にする」という観点から、決して残飯弁当を持って帰る行為を止めませんでした。その理由はこれまでの人生に於いて食の大切さを学んできたからです
また火垂るの墓の映画作中にある様に、戦時中に両親を亡くした子どもが生きるために盗みを繰り返し警察に突き出された事件も多数起きました。政府は両親が居ない事などを鑑みて、少年法を成立させ刑罰を緩くする等の処置をしました(´;ω;`)
アフリカ等の貧しい国では飢餓で死にゆく子どもが沢山居ます。みなさんも以下の画像を学校の授業等で見た事はありませんか? ヨタヨタと栄養失調で歩く子ども。その後ろをハゲワシが死ぬのを待ちながら、人間ではなくただの肉塊となった死肉をついばもうと追跡して来ています
恐ろしい光景です
僕は安心&安全な生活が出来る現代の日本に生まれていても、そんな悲惨な世界の現状を知っているからこそ世界の子どもたちを継続的に支援する「ユニセフ・マンスリーサポー ト・プログラム」という募金活動もしております
今はお金持ちでもないので少額ですが毎月支払っております金持ちになったらもっと支援させて頂きます
昔年下の友人に連れられて高知市帯屋町のフィリピンパブへ行きましたそこで働いていたフィリピンから働きに来ている女性たちに「フィリピンから働きに来ていて大変だねぇ」という話を振ったと思います。するとその後の話の流れで
「うん、でも私達しあわせ1日3食、食べれたら幸せ
」
と聞いた時には価値観・幸福感の違いに驚きました
それがこの現代の飽食時代の日本人の感覚としては「お弁当の食べ残しはゴミ箱に捨てるのが当たり前」という思考回路らしいです。
またビーフチキン精肉店で働いている女性も「そんな事をしているから斎藤は女にモテんがで~」と言い出す始末。僕は驚きましたΣ(´∀`;)
僕にとってはその様な周りに流された思考回路を持つ、如何にも日本人気質な人とは本心では相容れる事が出来ないかも知れないと思いました
生き物を加工して食卓に出ている魚介類・動物のお肉というのは、それまでに命の殺生があったという事実があります。
屠畜場という牛・豚・鶏を実際に殺してお肉とするJAの加工場では、その現場を見なくとも毎日動物の断末魔が聞こえるそうです
魚等は「苦しい・痛い」という鳴き声すら挙げれません
屠畜場での命の殺生を知らない人達は現代の生活が当たり前かの様に、目の前のお肉が出来るまでの過程や命のありがたみを忘れていると思われます。若しくはその事実を知らない可能性もあります
人間が動物を殺して生産している現状では悲惨さが分かり辛いと思いますので別のものに置き換えてみましょう。
では人間が人間を殺して人間を食品として加工する為の殺人工場があったら・・・と想像したらどうですか?
同族・同種殺しの現状を見たら「悪魔の所業だ」と驚くでしょうね。
では鬼や悪魔が人間を殺して人間を食品として加工する為の工場があったら・・・と想像したらどうですか?
こちらも人間が見学したらこれまた「悪魔の所業だ」と非難するでしょうね。
そういった観点からすると牛や豚や鶏には当たり前の様に同族・同種をいつも通りに殺している人間こそが、悪魔に見えているのかも知れませんよね
これらのマンガを読んで「これが当たり前の世界観だ・世の中の普通の出来事だ」と思う人間はまず居ないでしょう
ですが牛・豚・鶏がマンガを読めたなら「自分たちはこういう世界で、まだ食べられずに生き長らえている。いつ自分が殺される順番が巡って来るのかな((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル」と思う事でしょう
上記の観点より「お弁当のお肉やその他を食べ残してそのまま廃棄する」という事について、それぞれの過程をすっ飛ばして前後のみの極論を言うとします。
するとそれは食す為ではなく、ただ生き物を殺しているという殺戮行為に該当します。
食べる為では無く殺してはまた殺しを繰り返す・・・これではタダの大量虐殺です。
しかし日本のフードロス問題は僕一人がお弁当を持ち帰っても、到底解決する問題ではありません
以前テレビでフードロスについて考える番組があり、
中学生が食品の廃棄工場を見学する様子を放送していました
僕はそれを見て日本ではどうしてもフードロス
が発生しやすい状態にあるという事を学びました。
例えば僕が会社を経営しており、スーパーに対しておにぎり100個の注文
をするとします。その後まだ不足するので「やっぱあと50個を追加でお願いします~」と注文するとします。
そこでスーパー側は「え?100個しか注文を聞いていないからそれ以上は製造して無いですよ」とは言えないらしいのですですから予め100個と注文が来ても更に余分におにぎりを生産しておくらしいのです
その結果、賞味期限が切れた食品が大量に廃棄されます。廃棄されたお弁当や残り物は処理場に集められてぐるぐる
かき混ぜられ豚の餌になったりします
食べ物で困らなくなり・・・特に戦争を知らない世代が食への有難さを忘れつつある中で、増加する生ゴミ問題。その解決方法ですが、僕がこれまでに知り得た知識からは2つの方法が有効であるかと思います
1つ目はゴミの処理方法を従来の焼却方法
から、香川県三豊市が採用する「トンネルコンポスト方式」を全国的に採用しては如何かと思います。これだとグッと二酸化炭素の排出量を抑えられます
2つ目はガイアの夜明けで紹介されていた「高倉の魔法のバケツ」を各家庭に設置してはどうかと思います
微生物を入れたバケツに生ゴミを入れると、1日で分解されるんですインドネシアだけでなくセブ島でも採用されている様ですよ
http://gomi-tabi.com/article/193089902.html
僕としては今も昔も変わらず食べ物を粗末にしてはいけない
という心持ちで生活しておりますが、それってダメなのでしょうか?
一人一人が出来ることから始めて行かないと何も変わらないし、発展して行かないと思います
今や名だたる大企業だって最初はたった数人から始まったでしょうし、たった2人の喧嘩が国際問題になったり、発展して戦争になったりもするでしょう
だからこそせめて目の前の小さな問題でも真摯に取り組んでいけば、周りを巻き込んでゆくゆくは壮大な流れを作る事が可能となると僕は思うのです
しかし一般人はそこまでワールドワイドには思考が行き着きません。今世界で起きている色々な問題についても「自分が今を楽しく生きていれば他人の事はどうでも良いや~」と対岸の火事
の様に考えているのかも知れません。
そして幾ら僕が「お弁当の残り物を持ち帰る理由」を説明しても話の中で価値観の乖離が生まれて「斎藤は頭がおかしい」と言われます
ですが理解者もいらっしゃいますある日に居酒屋を経営している方とこの話をしてみた所「そりゃお前の言う事が正しいわ」と賛同してくれました。経営者たちは殆どの人が広い考え・広い心をお持ちであり、こういった話もきちんと理解して話が通じるので自分としてはとっても嬉しいですね
読者のみなさま方たちもこのブログを読んで頂いた事をきっかけにして(このブログを話のタネにして)ご家族や友人達と今一度フードロス問題について考えてみませんか?
或いは戦時中や戦後の貧しい時代を知るおじいちゃん・おばあちゃん達に、過去の時代の様子を聞いてみるのも良い人生勉強になると思いますのでお勧めですよ