コースのレッスン中
テキストを読むことに集中していた頃
テキストを読み終えてからも暫くの間は
私がコースの学習者であることを知らせている人たちに
私の近況を尋ねられると
つい
コースの話をしてしまうことが自然だった
そんな自分を咎めるような気持ちになることもあった
もちろん赦しは欠かさない
ある時
数年振りに再会することになった人に
コースの学習者であることを伝え話していると
私の心とコースが融合しようとしているけれど
まだ融合しきっていないから
どんどん話した方がいい
というようなことを言われたことがあった
当時は私のなかに
コースの学習者であることを自分のことだけに留められず
誰かに伝えたい
そんな想いが微かにでもまだ強くあったと思う
それより以前には
みんなコースを学んだらいいのに
そう思っていた頃もあった
コースに纏わる体験を話す場を設けようと考えたこともあったけれど
注目されることが苦手という想いが強く
それには至らなかった
その苦手意識を赦し続けていると
人前で話す場が与えられた
逃げることは許されない状況でもあったけれど
どこからやってくるのか
挑戦するんだ!という気持ちが強かった
それを二度行った頃には
コースのことを話していこうという気持ちはなくなっていた
気がつけば
周囲から寄せられる相談や
私ならどうするか?という問いに対して
コースを学ぶ以前や
コースを学んだことによって得られたことを
私の人生における体験や経験からのものとして
話すことをしている
無論
心のなかでは先ず赦しをしている
ふと
これが融合したということなのかもしれない
そんな風に思った
だからと言って何がどうしたというわけではない
ただいつの頃だったか
もう人の相談に乗ることは難しい
そんな風に感じたことがあった
おそらく、レベルの混同を起こしていたであろう頃
人と会話をすることさえ難しい
言葉を発したくない
そんな風にも感じていた頃だ
自分を身体と認識していることを
汚いと感じたこともあった
私が無意識のうちに選んでいた学び方とはいえ
そのまま事実だけを認めることが難しく
大きく抵抗していたことがよくわかる
コースを学ぶことによって
その当時のような状態のままであることが
意図されているとは思えない
その想いは持ち続けて
ただただ赦し続けていた
今、当時の不安のようなものは一切ない
言葉を発することなく
ただただ微笑んでいるだけの自分が在るとしたら
やはり
身体を卒業する寸前だろう
でもそのような時が来るのであれば来るだけで
そのような時を望んでいるとは言い難い
どのような内容でも会話が楽しい
人との交流が嬉しい
相手が悩んでいれば放っておけないのは性分で
そのことに困っているというわけでもない
他者の事でも他人事ではなく
私事として赦すのはもちろんだけど
どんなときも聖霊とともに見聞きする姿勢は
無意識のうちに
相手の心に入り込むということをしなくなっている
赦し委ねることと
私が身体を使ってすべきこととが
考えることなく自然と
できるようになっているのだと感じる
コースのことを話さずとも
コースを学ぶことで得られているものを
自然と必要なかたちで
伝えることができている
