ソナのキャリア



ある日、例のごとく牛を撫でたり、ガンジス川を見たり、

サモサ(一個3ルピー)をつまんだりしながら、

散歩から帰ってくると、例のごとく、

ソナが店の前でボーっと座っていた。


「やあ、ソナ」

「やあ」

「暇そうだね」

「まぁ、今シーズンじゃないしね」

「そういえば、ソナは今何歳なんだ?」

「25」

「年下じゃないか!」

「あ、そうなの?」

「…いつから商売してるんだ?」

「10歳くらいかな…。ホラ、そこの四角いの。

 あそこでやってたの。金を貯めて、ここに移った」

「…」


なるほど、すぐ右向かいに、プレハブともいえないほど小さな、

物置のようなものがある。


僕は「地道な人」に敬意を感じる。


それも聡くやるというよりも、むしろ愚直にも、という感じの人に。


ソナには、そういった特別な気負いのようなものは感じないが、

しかし地道に生きている感じがする。

何しろキャリア10年以上だ。


そういう人は好きだ。


反対に、夢みたいなことを言って、

一発当てようというような姿勢の人はどうも好ましく思えない。


ん。それって自分のことじゃあないのか?

書いていて、自己嫌悪になってくるのでやめる。


何にせよ、「地道」は尊い。

これを書いている現在、僕はドイツであった人のことを思い出した。


その人は、クラシック音楽の指揮者をしており、

この7年間、たとえどんな状況であろうとも、

4時間のクラシックのための学習を欠かしたことがないと言う。


別にソナはそこまでの努力や、
目標を掲げているのではないかも知れないが、
どちらとも、僕には「正しく」生きている様に見える、
という点において共通している。

非常にあいまいな表現ではあるが、
その「正しさ」が僕には眩しく感じられる。

別に、地道に、コツコツとやっている人が全てではない。

言うなれば、そう、太陽に恥じないように生きている。
といった感じだろうか、そういった人に、僕は「正しさ」を感じて、
後ろめたい気持ちになる。

僕がそんなことを考えているとは露知らず、
ソナは、路地を行く牛と、人と、野良犬たちを、
のんびりと眺めていた。




「ギャングスタ」


そんなソナの店で、日本語書籍を物色していると、

ある青い背表紙が目に引っ掛かった。


もしや、と思いつつ手にとって見ると、

やはりであった。


「ギャングスタ」 クワン著


ギャングスタでありながら、小説家と言う自分の夢のために、

ギャングの世界から足を洗おうと決意する、主人公ルー・ロックが、

その思いとは裏腹に、どうしようもなく、

ギャングの世界の渦に飲まれ、もがく姿を描く作品だ。


僕が参加している(いや。ここまで長旅が続くと、「していた」と言う方が、

正確かも知れない)stillichimiya の一員であり、

6年前のインド行にも同行した、

友人の向山君が、この小説の挿絵を担当している。


まさかインドでこの本に会おう事になろうとは。


この本が発売された時、

僕はすでに仕事を始めており、

テレビの仕事に忙殺され、

この本を店頭で手に取ることはおろか、

買おうと考える事さえ無かった。


しかし今、本との出会いも、

また縁という事で、読んだ。


主人公ルー・ロックのあまりの完璧さについてや、

この作品が本当にリアルなのかどうか、

という問題は、正直よく分からない。


それよりも、ある一点、

興味深く感じた所があるので、

それを以後記す。



「文化」と「文明」、

小説「ギャングスタ」と司馬遼太郎から考えるヒップホップ。



司馬遼太郎の紀行記に、「アメリカ素描」 という作品がある。

彼がアメリカを旅した40日間を元に、

彼の深い洞察を持って、アメリカと言う国の姿を描いた作品だ。



この中で、司馬氏は「文化」と「文明」を以下のように定義している。



人間は群れてしか生存できない。
その集団を支えているるものが、文化と文明である。
いずれもくらしを秩序づけ、かつ安らがせている。

文明とは『たれもが参加できる普遍的なもの・
合理的なもの・機能的なもの』をさすのに対し、

文化はむしろ不条理なものであり、
特定の集団(たとえば民族)においてのみ通用する特殊なもので、
他には及ぼしがたい。つまりは普遍的でない。

その違いを、司馬氏が挙げる例では、こう言っている。


「例えば、青信号で人や車は進み、赤で信号は停止する。
この場合の交通信号は文明である。
逆に文化とは、日本でいう、婦人がふすまをあけるとき、
両ひざをつき、両手であけるようなものである。
立ってあけてもいいという、合理主義はここでは、成立しえない。
不合理さこそ、文化の発光物質なのである。
同時に文化であるがために美しく感じられ、
その美しさが来客に秩序についての安堵感をあたえ、
自分自身にも、魚巣にすむ魚のように安堵感をもたらす。
ただし、スリランカの住宅にもちこみわけにいかない。
だからこそ文化であるといえる。」

そして、アメリカという国家は、
その原初(メイフラワー号のピューリタン達が、
社会契約説に基づく誓約により、
自らが赴く土地を規定した時)からして既に、
「文明」のみによって成り立つ人工国家(states)であり、同時に、
現代において、アメリカ以外に(普遍的で・便利で・合理的な)
「文明」を生み続けている国は無いのではないか、
とも言う。

そういった、文明によって成り立つ国家であるからこそ、
問題が起こった場合は、訴訟をしっかり起こし、
法廷に、つまり「法」という「文明」によって作られた、
裁定機関に委ねるのだろう。


小説「ギャングスタ」内で、主人公ルー・ロックが、
最も頼りにしている友人が、
「金持ち」でもなく、「力持ち」でもなく、
「人格者」でもなく、同じ黒人の
「弁護士」
である、ということは、
そういった司馬氏の論旨を受けて考えると、
非常に象徴的だ。

本来、どんな事でも起き得るはずの、
フィクションにおいてでさえ、
(事実、『ギャングスタ』には助っ人として、吸血鬼が登場する)
最後に頼りにされるのが、法の体現者たる「弁護士」なのだ。

小説「ギャングスタ」内で、最もリアルなのは、
アメリカ社会での「外れた者」、闇に生きるギャング達でさえ、
アメリカという国に生きる人間である以上は、
「文明」によって立脚し、「文明」の中でしか生きられない、
という事を、暗に示した点なのではないだろうか。


そして、そこから更に考える事がある。

気になるのは、司馬氏の「アメリカ素描」の単行本化が、
1986年。その中で書かれている、
実際に司馬氏がアメリカを旅した時期が、
1984~1985年であるという点だ。

まだ確実にヒップホップが黎明期の時代だ。

RUN-DMCの1stは出てただろうが、
KRS-ONEも、パブリック・エネミーも出てきていない、
ごく初期だ。

おそらく、アメリカを旅した、当時の司馬氏の耳目には、
ヒップホップが届くことは無かったのではないだろうか。

それでも一部、黒人について言及している部分があり、
そこでは、

かつてのアフリカ大陸独自の「文化」と無理やり切り離された、
アメリカ黒人こそが、「真のアメリカ人」と言えるのではないか、
という事。

そして最近、その「真のアメリカ人」たる黒人たちが、
独自の英語。「黒い英語」とも言うべき、
独特の言葉使いを多用し始めており、
それは、もしかして文化を奪われた黒人が、
アメリカ独自の「文化」を、
生み出そうとしている予兆かも知れない、
という事が述べられている。

それから、二十五年以上経った。

彼らは「文化」を持ち得たのだろうか?

それは僕には分からない。
僕はまだアメリカ大陸に渡った事がないし、
もしかしたら、アフリカ系アメリカ人社会にだけ、
それを支え、秩序付けるモノが出来ているのかもしれない。

僕の浅い知識で鑑みるに、持ち得ているかと言えば、
疑わしく考えてしまうのだが、それを知るにはやはり、
実際にこの目で見るしかないのだろうと思う。


しかし、これだけは言える気がする。

ヒップホップを、文化だ。
と言う言説がある。

しかし、現在のヒップホップは、司馬氏が言うところの、
「文化」ではない、という事だ。


「文化」は、

寝方、ドアの開け方、調理の仕方、それら
生活すべてを総合して、
秩序付け、安らげさせるモノだ。


ヒップホップな家屋、寝床、風呂桶、と言うものがあるだろうか。

そういった事からも、ヒップホップが、
外来語の、軽度な使用感で使う「カルチャー」とは、
言い得るかもしれないが、やはりヒップホップそのものが、
「文化」とは言い難い。

もしかしたら、アフリカ系アメリカ人社会に「文化」が仮にあったとして、
その一部分なのだ、と言いたいところであるが、
それもやはり現在では、否と言わざるを得ない。

逆にこれが現在では、言えてしまう気がするからだ。

ヒップホップは、「文明」である、と。

司馬氏はその著作の中で、
「文明」の所産(彼の造語で言うところの『文明材』)として、
ジーンズを例に挙げている。

「国籍人種をとわず、たれでもこれを身につければ、
かすかに"イカシテイル"という快感をもちうる材のことである」
と、彼は「文明材」を定義付けている。

「ジーンズ」は、サンフランシスコのゴールドラッシュの時に、
激しい労働をする鉱夫やワーカーたちが必要とした、
丈夫な作業ズボンが起源だ。
1873年、ドイツ移民のLevi Strauss が、テントの生地を使って、
重いものを入れても破れないように、
リベットで、ポケットを止めて縫製して、
「ジーンズ」の原型は出来上がった。

150年以上の歴史を持つジーンズは、その後「労働着」から、
どんどん進化を遂げて、ファッションアイテムとして、
全世界に広がっていき、司馬氏がアメリカに行った時点で既に、
ソ連の若者が好んで履きたがるモノになっていた。

確かに「ジーンズ」は非常に合理的かつ普遍的で、
さらに司馬氏が指摘するように、
「誰もが少し"イカシテイル(=Cool)"快感」が持てるモノで、
「文明の所産=文明材」と言えよう。

そしてこれは同時に、ヒップホップにも言えることではないだろうか。

楽器を経済的理由から買えない、技術的に演奏できない、
ならば、元からあるレコードをサンプリングして新しい音楽を作れば良い。

と言う考え方は、ある意味非常に合理的だ。

そして、ジーンズと同じように、
それこそ日本、ヨーロッパ、中央アジア、モンゴルに至るまで、
世界中の若者が国籍人種を問わず、普遍的にそれを受け入れ、
かすかに"cool"という快感をもちうるモノだ。

ヒップホップが「文化」であれば、
アフリカ系アメリカ人だけのモノであったはずだろう。

いや、事実ヒップホップ発生当時は、
ヒップホップはアメリカ黒人の文化の一部だったのかも知れない。

司馬遼太郎氏は、それを感じ取ったからこそ、
上記のような「『文化』の予兆」を書き記したのではないか。

しかし、それがアメリカと言う「文明」国家で発生してしまった故か、
白人「文明」社会が、
それさえも彼らが作った「文明」に取り込んでしまった故か。

今現在の、ヒップホップは歴然と、「文明」の形をとって、
世界中に享受されている。

かつては、アメリカ白人の労働者の「文化」の一部であった、
ジーンズが、普遍性を持ち、全世界に普及し、
「文明材」になった様に。

日本人が、ヒップホップをやっていると言う現状が既に、
ヒップホップが「文明材」になったという証拠のように思える。

それに対して、本来、「文化」としてヒップホップを生んだ、
アメリカ黒人の中には、忸怩たる思いの人もいるかも知れない。

しかし既に、現在において、
ヒップホップはアフリカ系アメリカ人だけのモノでは無くなってしまった。

果たして、アメリカという「文明」国家において、
「真なるアメリカ人」たる、アフリカ系アメリカ人は、
いや、他の全てのアメリカ人にも言えるが、
「文化」を獲得する日が来るのだろうか。

それとも、いつの日か、「中国文明」が、
白人世界の「近代文明」に駆逐されたように、
新たな「文明」が訪れるその日まで、
「文明」のみによって突き進み続けるのだろうか。


※ この文上での論旨は、あくまで司馬良太郎氏が定義したところの、
  「文化」と「文明」の定義を用いて書いたものだ。
  「文化」と「文明」と言う言葉にも、他の定義の仕方が可能だと思うし、
  その場合、以上の文で考えたことは、間違いかも知れない。
  所詮は浅薄な知識しか持たない僕の戯言なので、ご容赦願いたい。


そしてもう一つ。

以上とは関係ないが、
山梨で活動しているstillichimiyaについて。

司馬遼太郎氏が、映画「男はつらいよ」が、
ソ連やアメリカでも、うけたことに対して、
同じ「アメリカ素描」の中で、こう言っている。

「風土性を煮詰めると化学のように変化が起こって、
普遍性に転換する」


あくまで己の風土を唄い続ける僕ら(もはや『彼ら』か)
stillichimiyaが目指しているのは、
正にこの事だと、僕は思っている。




stillichimiya 麿、乃至は、古屋卓麿。 
他人には全く面白くも無い写真だ。
ラリターガートというガートの写真。
6年前にここで沐浴した。
今は、水位が下がり、当時水で隠れていた、
柱が見える。


stillichimiya 麿、乃至は、古屋卓麿。 
ダシューシャワメードガートへ向かう道。


stillichimiya 麿、乃至は、古屋卓麿。 
ダシューシャワメードガート前に佇む、
足が不具の乞食。