元々、漠然とこの旅のことを考えたのは、2008年の2~3月くらいだった。


ADとして働いて、毎日毎日撮影が続くようになると、お金を使うことがなくなる。

食事はすべてロケ弁で、撮影以外は何もしないからだ。

そんな状態でしばらくすると、貯金が100万を超えていた。


撮影の場所が学校であること多かったから、そこで見たのだろうか。(イヤ、もっと他の所だろうか)

「世界一周の船旅 125万」というポスターを目にした。



「125万で世界一周できるのなら沢木耕太郎がやっていた『ユーラシア横断』ぐらい、100万あれば、出来るな……」


働き始めて、1年が経とうとしていた。



学生の頃、stillichimiyaのMMMこと向山正洋とBIGBENこと辻太平と、インドへ旅行に行ったことがある。



出来ることなら、今回のようなユーラシア横断をしてみたいと、そのとき既に考えていたが、そのときの僕は、まだ1度も飛行機に乗ったこともなく、ましてや外国など行ったことさえなかった。


だからせめて、インドに行ってみようと考え、向山君と辻君を誘った。

その旅行は学生特有の無茶と無知に溢れたキラキラと美しい思い出となっている。



就職し、昼夜問わず働くようになり、もう一生あのような冒険をすることはないと思っていた。

第一、今度は金はあっても時間がまったく無いのだ。


2008年8月半ば、毎日殴られ罵られてはいたが、それがいつに無くキツかったある日、一ヶ月ぶりぐらいにアパートに戻ることができた。3時間くらいのつもりでベッドに横になると、もう起き上がることができなかった。



次の日の夕方、上司がアパートにやってきてパンツ一丁でベッドに横たわっている僕を見つけた。

とにかく会社に来るようにと言って上司は去っていた。

シャワーを浴び、駅に向かった。


気づくと伊豆にいた。


情けないことに、逃げ出してしまった。


8月末日をもって会社を辞職し、突如あまりに大きな「暇」ができた。


「金」と「時間」ができた。

けれど、僕が日本を出発するのは、さらに2ヵ月たった11月のことだった。