「教えて!埼玉博士」56♪ 〝鎌倉文士に浦和画家〟って?? | サイのぶん太くんオフィシャルブログ Powered by Ameba

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こんにちは!

(*^▽^*)




きょうは「鎌倉文士に浦和画家」っていう

言葉のことを博士に聞いたよ♪





誰が言い出したのかはわからないけれど、

「鎌倉文士に浦和画かき」とも言われるそう。





神奈川県鎌倉市には文学者が、

埼玉県の旧浦和市には画家をはじめ、

芸術家が多いということなんだそう☆





なんで浦和に増えたかって?





博士が教えてくれたよ!

(=⌒▽⌒=)





大正12年の関東大震災で被災した画家などが

東京都内から移ってきたんだって☆


 


昭和6年には、約40人の芸術家が

浦和に住むようになったとか!





洋画家の高田誠、寺内萬治郎、瑛九、

金工作家の増田三男などなど!





浦和生まれの人もいれば、

他県出身だけど浦和にアトリエを構えて

移り住んだ人もいるよ☆





当時は、武蔵野の雰囲気が色濃く残る浦和。

自然豊かな環境での創作活動を求めた人も☆





東京美術学校(現在の東京芸術大学)や

美術館のある上野へ、鉄道で直接行ける

地の利も影響したと考えられているんだって♪





それで額縁工房や画材店など、

関連する仕事に就く人たちもだんだんと

増えていったんだね☆





博士のお話は19日付12面だよっ♪

ぜひ読んでみてね~っ!


ヾ(@°▽°@)ノ





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