俗習には、好ましい俗習と好ましくない俗習があります。
それは「私が好ましく思うか思わないか」の話ではありません。
仏法に照らし合わせてどうなのか?人間の行いとしてどうなのか?ということなんです。
前記事、”飲食物(とくに酒類や肉魚)をお棺に入れる”ことが俗習として定着しないことを願っております。
さて、今回はあるご門徒からの質問を取り上げてみました。
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Q:『親族の留め焼香は必要ですか?』
答えの前に・・・それを「なぜおこなうのか?」「どんな意味でするのか?」といった”素朴な疑問”をもつこと・・・何事にも重要だと思うんです。
◇親族の留め(止め)焼香をなさる意味◇
①親族内からのクレーム抑止・・・つまり、順番でごちゃごちゃ言う人に対し、喪主はさておき、その次ぐらいに近しい関係(喪主の弟さんとか男性が多い)の方をわざわざ最後に焼香させることにより、文句を言いにくくする(その場を円滑におさめる)。
②親族から死人をだすことを止めるという迷信。
【解説】
②は迷信なので論外です。どんなことをしようがみんな死にます。それは、焼香の仕方や順番となんの関係もありません。
①法律が整備される前の時代は、焼香の順番が遺産相続の目安でした。事細かに順番を決め、お一人お一人お名前を読みあげて行うお焼香が、葬儀にはありました。私の記憶では当山周辺地域でも昭和の後期ぐらいまでは名残りがありました。
それで、残念なことに焼香の順番でモメることがあったそうです。留め焼香はそういったトラブル回避の意味で発生した慣習のようです。
A:留め焼香は正統な仏事作法ではなく、俗習としてもあまり好ましくありません。
そもそも焼香は極楽浄土を体現する香りの御供であり、合掌礼拝を促す為の作法・・・①②いずれも本来の意味から大きく外れています。
近年、自由性のある随時焼香がふえているのは良い傾向ですね。
遅れて駆けつけた方は閉式してから焼香されても良いですし、むしろ勤行中にお焼香をしてはいけない宗派もあります。
また、他宗教の方や、したくない方(私の友人でアレルギーで焼香できない方がいます)は焼香をする必要ありません。
タイミングについて細かいことをいうと、導師焼香・代表焼香・表白・導師独吟(または、調声)などの場面にかぶる場合、一旦休止するのがのぞましいです。
浄土真宗のお葬儀で正信偈の「五劫思惟~」とあとぐらいからお焼香がはじまるのは、そこからしばらく導師独吟の場面がないからです。
〔必要がないと答えましたが、ちょっと面倒なご親戚のあるお宅には助かる俗習なのかも知れません〕
本願寺派のお焼香作法は
所作はガチガチに考えてもらわなくてもよいと私は思います。
☆大切にしたいポイント=「なまんだぶつ」と声に出して称名念仏すること。(ご病気で声の出ない方は心の中で)、そして、きちんと合掌礼拝すること。
これは習慣づいてないとなかなか難しいかもしれません。先ずは勇気をだして発声してみてください。
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ついでに書いておくと、通夜葬儀における”座礼・立礼”の場面もまったく必要ないというか、お勤め中に尊前に背を向けるのはちょっとどうかなぁ。。。
閉式後に喪主様が「お参りくださりありがとうございました。」と一言お礼の挨拶をされるだけで充分なのでは?
式中にという要望があれば、私はお勤めを少しだけ休止させていただいております。
さいきん家族葬が増えていて【座礼・立礼の必要性が無くなってきた】こと・・・簡素化の中にあってコレは❕
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9/11(土)、予定通り日曜学校を行いました。
出席は二名でしたが、この日は龍谷大学大学院からの手作りカルタ実習があり、特に充実したレクリエーションの時間となりました。
かわいらしい絵札、正法流布の読み札・・・素敵です
釋俊彰