自分のキャラ、ってなんでしょう?

よくこんな話を聞きます。
「それは俺のキャラじゃない」
とか
俺はボケだ」
とか
おそらく、それまで生きてきた中で、周りから言われたり、自分でそう思ったりして作られてきたモノなんでしょうね。

驚いたのは社会人になっても、そんなことをいう人がいる、という事でした。
例えば、大きな声で挨拶をしなさい、とか言っても、
私はそういうキャラじゃないからできません」
とか言うわけです。

もちろんパワハラを勧めるわけではなく、人権を無視して無理やりさせたいわけでもありません。ただの例です

例えば、それを仕事として求められた時、その人はキャラを守るために一つのチャンスを放棄してしまう事になりかねないということですね。

今回は自分が自分で勝手に決めて大事にしている「キャラ」という呪縛について考えてみたいと思います。

あなたはどんな人ですか?と聞かれて
なんと答えるでしょうか?
「良い人」「面白い人」「優しい人」
あたりでしょうか?
「賢い人」「ケチな人」「執念深い人」
などはあまり自分からは言わないかもしれません。

まず、嫌われない、嫌な印象を持たれにくい、あたりがキーワードになりそうですね。
では何故「キャラ」を武器に仕事を断ったりできるのでしょうか?

言い換えると、
今までそうやって生きてきたから、それ以外の事は出来ません。キャラは変えたくありません。
という事なのかな。

「キャラ」とは
対人関係における嫌われない部分の特徴、で、自分的には一番自然な振る舞いで周りの人もわかってくれている状態なので、出来れば今後も変えたくない
といった感じ?

問題は「自分的には自然な振る舞い」という部分が気になります。

では、それはどうやって形成されてきたんでしょうか?

一般的に考えてみると、親の影響、兄弟の影響、友達の影響、あたりが濃いと思います。

例えば兄弟で考えるとわかりやすい
第一子は親からの愛情を100%受けて育ちます。つまり親は100%自分を見てくれていることが当たり前
第二子は既に第一子がいるので100%自分を見てくれているとは思っていない。というか100%とか意識すらしていない、が当たり前

細かくはまた機会があればお話しますが、育った環境によって、子供の反応しなければならない対象や事象は異なる、ということなんです。

その環境や事象に対応しているうちに慣れて、意識せずとも対応できる状況になっている、その状態を「キャラ」と表現しているわけです。

自分探しですからね。もう答え分かっちゃうかもしれませんけど。。。

自分で思ってる「キャラ」が親や兄弟の影響だと考えたらどうでしょ?一生貫くべきもの、ですかね?

つまり、結婚したら「キャラ」を変えればよいし、というか、婚活するときは今までと別の「キャラ」で良いんです。

「あの子は男に媚を売ってる」とか陰で言ってる人がいますけどね、媚を売って(そんなキャラに見られて)でもいい男を捕まえた方が正解、ということなんです。

自分で今の自分のキャラを決めましょうよ
何回変えても、いつ変えても問題ありませんからね。