AIの恐怖
経営者としてAIリテラシーが低すぎるため、
集中的に勉強して社内業務のあらゆる部分に導入する方向性で進めている。
これをやりたいかというよりは、
やらないと淘汰されるだろうという義務感に近い。
こういう取り組みはワクワクする性分なんだけど、
それよりも怖さが優っているのかもしれない。
変化には対応できる方だけど、
今回のこの変化の大きさには恐怖を感じる。
自分だけでなく誰もが、
これまで積み上げてきたものが崩れ去るかもしれない。
前例踏襲があたりまえのこの日本において、
そこに適用できる人がどれだけいるのだろう。
AIによる社会の変化は、もはや恐怖を感じる。
これまでの幸せの形は、これからどうなってしまうんだろう。
便利になることと、幸せになることは、全然イコールじゃないなって、そう思うんだ。
STAY
転職したとき、
起業したとき、
新しい事業を始めたとき、
「なんとかなる」という気持ちで始めて、
だいたいなんとかなってきた。
けど唯一なんとかならなかったのが、コロナで前の事業を終了させたとき 。
たぶん自分一人ならなんとかなったんだろうけど、
従業員がいることで、自分一人でできることには限界が生じるとともに、
なんとかしなければいけない範囲が大きくなりすぎる。
今はまさにその状況。
「このままではまずい」
「これをやったらまずくなる可能性がある」
その両者を天秤にかけて、
後者の方がリスクがあるのであれば、
STAYという判断もすべきなのだろう。
じきに実行すべきタイミングがくるはず。
考えても考えても答えが出ないこともあれば、
ふと気づき実践したことがすぐ成果につながることもある。
今は考えても考えても答えが出ない。
だからSTAYすべきときなのだろう。
東京と福岡
東京しか知らなかった自分が、
福岡に転勤してきたのは2011年8月。
引っ越してすぐの土曜日、友達と飲んだ後の帰り道、
橋の上から繁華街を見渡してふと思ったんだ。
「東京は巨大過ぎて1位なんてとても目指せなかったけど、この街なら目指せるかもしれない」
当時は社会人サークルを頭に浮かべていたん だけどね。
まさか教育では目指そうとも、目指せるとも思っていなかった。
あれから15年。
形を変えて今、ようやく声に出して言えるくらいのところまできたのかもしれない。
17連勤
今日で13連勤。
とりあえず17連勤まではいきそうだ。
権限委譲はどんどん進めているし、
プレイヤー要素もなくしていっている。
なのに売上増加ペースに追いつかない。
そろそろこのあたりをもっとテコ入れしないと、
俺自身がもたないぞ。
感情的になることのデメリット
感情的になることの最大のデメリットは、
自分で自分を嫌いになっちゃうことかもしれない。
やっぱり、自分を好きでいたいもんね。
そして自分の心の中がしばらくモヤモヤしてしまう。
結局は、自分にとっても良くないということだよなあ。
そう思って立ち止まる方が、冷静でいられるのかもしれない。
ようやくここまで来た
10年以上、ずーっと自転車操業を続けてきたけれど、
ようやく脱せたかもしれない。
ようやくここまで来た。
ここからは、俺の経営手腕が問われるのだろう。
最良のケースと、最悪のケースの両方を想定して打ち手を考えなければならない。
これがまた難しい。
人を大切にしてきた。
きっとそれは間違いではなかった。
本当に良いものを追い求めてきた。
きっとそれも間違いではなかった。
今が答え合わせのときだ。
自分が抜けたコミュニティ
過去に自分が抜けたコミュニティというのは、
自分にとっては抜けた時点の記憶で固定されるけれど、
残った人にとっては、
今がそのコミュニティなのであって、
そこに自分はいないのだ。
そんなあたりまえのことに今更気づいた。
俺の記憶にあるそのコミュニティは、
俺にとってはすばらしい場だけれど、
みんなにとってはもはや存在しないのかもしれない。
それって、なんだか寂しいことだなあ。
自分なりのアンガーコントロール
従業員に対してチャットで厳しい内容を送りたくなる瞬間があるけど、
それを送ったら結局、
・反発するような返信がくる
・落ち込んだような返信がくる
のどっちかの可能性があり、
それに対して無視できない俺は、
相手との話し合いの場を設ける、ということになる。
これは
・効率が悪い
・精神的に負担が大きい
・相手から自分への信頼が減り、離職リスクが増える
と三重苦なわけで、
だったら落ち着いて話そう、という結論に達している。
これが自分のストレスを減らしていることにつながっているのかも。
自分なりのアンガーコントロールだね。
明日なんてこない
仕事でお世話になっている方が亡くなった。
脳出血で倒れ、翌日に息を引き取ったとのこと。
あんなに元気そうだったのに。
1週間前まで、普通にやり取りしていたのに。
いっつも俺のこと、当社のこと、
ほめてくれた。それがいつもすごくうれしかった。
来月の案件もお願いしていた。
ちょうど受注になったことを伝えるタイミングだったのに。
どういう気持ちだろうとか、
悔しいだろうな、とか考えちゃうけど、
そっか、気持ちという概念はないのか、って思ったり。
あたりまえのようにくる来月は、
あたりまえにはこない。
きっと、来月はこうしようとか、
明日何しようかとか、考えていただろうな。
あたりまえなんてないんだなあ。
明日なんてこないんだな。