今日、ようやく師匠のところにご挨拶に行けて、気持ちが整理できてきました。
丸10年もご無沙汰してしまい、まさかこんな形で再会となるとは思ってもみませんでした。
私はARBの白浜久を知らなかったので、出会いは音楽専門学校。

だから私にとっては永遠に白浜久“先生”。


ARBを知らなかったけれど、なんだかとても白浜先生のアコギの授業を受けたくて、でも受付時に受付担当に「初心者は受けられない」と言われたことを真に受けて前期は泣く泣く断念。
ところがフタをあけてみたら初心者が大勢受けていたので「え!いいの?真に受けてバカみちゃった!後期は私も受けたい」と先生に直談判。
「初心者が受けていいに決まってるだろ、バカ」と言われて、ようやくウキウキで参加しました。
ま、初心者なので「彩子、お前はどうせコードを押さえられないんだから、ストロークだけしとけ」と言われ(笑)、でも私はといえばストロークすらまともにできない始末。
けれど、先生の授業、先生の話はいつも面白かった。
ある日『灰色の水曜日』の話を聞いて
授業の後に先生のところへ行き、

「灰色の水曜日ってAsh Wednesdayのことですか?」と聞いたら、

「…何だそれ?」
「カトリックの…お祭り?です(私の知識はマンガ『CIPHER』のもの)」と言ったら

「へえ、知らなかった」
これが印象深かったと、後から先生に何度か言われました。

それからある日、学校へ行く途中、横断歩道で前を歩く先生を見かけて「おはようございます!」と追いかけたら

「お前さあ、大学出てるだろ」
「…はい」「どこ?」「北大です」「北大!?旧帝かよ!!」
その後も、先生は何かというと

「あ、今この場で国立大じゃないの俺だけじゃん。くそー、今から九州大受けようかな」など、前向きな学歴コンプレックスをぶつけてきて、そういうぶつけ方をしてくる方って初めてだったので本当に面白かった。

授業で私が曲を発表するようになるとすごく気に留めてくれて、
だから1年のラストのイベントで、私がライブハウスでポエトリーリーディングをやった時は、、、先生は学校と関係が良くなくてライブの案内をもらっていなかったそうで
「知らなかった!呼べよ!見たかった」と言ってもらえました。
でも、私から「来てください」なんて、あまりにもおこがましくて言えませんでした。
何しろたくさんお世話になったのに、振り返ってみたら一緒に写った写真もなくて、なぜかというと「撮ってください」なんてこれまたおこがましくて、あまりにも恐れ多くて言えなかったからです。
そのくらい、私にはおいそれとそんなことを言えないくらい、優しいけれどちゃんと畏怖のような感覚もある先生でした。

学校を卒業する時に
「お前さあ、俺のとこに来いよ」と声をかけていただき、「どゆこと?」と、一体何が起きているのかわからないまま、卒業後恐る恐るお宅にお邪魔しました。
それから数年。
白浜先生のもとに毎週のように通い、自作の曲をアレンジしてもらい、息子さんにボイトレしてもらい、奥さんにご飯をいただき、、、
昭和記念公園をはじめとしたステージに立たせていただき、
そして自分の楽曲を2枚のアルバムにまとめることができました。

先生は、私の楽曲があちこちに飛び散っても
「こういうのは、もっとファンがついたら聞いてもらえるタイプの曲だから、これはこれでいいけれど今じゃない」
ということはあっても、絶対に否定をしたり、変更を求めたりすることはありませんでした。
そして、曲のイメージを伝える時に私が

「もっと…水色っぽいんです」「乾いた風みたいな感じ」「もう少しふわふわした…」

なんて曖昧な表現を使っても、何だそれということは絶対になくて、

いつも「…なるほどね」と頷いて、そして本当に「それ!」と思う方向に持っていってくれました。凄すぎる。
さらに、私の歌声が…音圧ふにゃふにゃ、歌い方真っ直ぐ…なことを逆手にとって、

「同じ歌を2回同じように歌え!それを重ねる。1回歌ったのを二重にするんじゃない。必ず2回歌ってそれを重ねる」という技を使って、不可思議な味をつけてくれました。(ライブだとできないんですけどね)

何年か通ううちにたくさんの話もしましたし、お酒も飲んだし、代々木公園のタイフェスでドリアンを一緒に食べたりもしました。
時には「福山から留守電入ってたんだー!聞く?」とか、え?プロデューサーですよね?ミーハーですか?みたいな可愛い面も見せてもらったりしました。
塾講師のアルバイトを依頼されたこともあったし、息子さんのラジオに出たこともあったな(笑)

たくさん話すなかで、法務教官時代の話もいっぱい聞いたし、私も最初の就職では公務員系のお仕事に就きかけた妙な経歴があるのですが「お前みたいに公務員改革起こすタイプの人間が公務員なんて向いてねーよ、すぐに辞めてたよ」と言ってもらったりもしました。今振り返っても、確かに先生の言う通りだなと思います。

先生に言ってもらったことは折りに触れて思い出しては、やっぱりその通りだなと日頃から実感しています。
特に

「お前の歌詞は一語一句、てにをはまで全部、なぜその言葉を使ったのか理由を解説できるようにしておけ。それがお前の武器になる」

と言われたのは響いていて、コピーを書く時にも全部解説できるくらい突き詰めています。(ブログとかは勢いだけども)
「もっとお前を肯定する人と付き合ったほうがいい」とも言われたけれど、あんなに全肯定してくれるのは親か先生くらいです。

大きなステージに立たせてもらったし、先生の勧めでThe Velvet Undergroundを聞いたり、いろんな洋楽をカバーしたり、自分なりにはやってみたけれど、
結局私は人前で歌うことに慣れなくて、自分で作った曲に自分で面白さを感じられなくて、詞だけやりたいと思ってしまって、もちろんそれも、楽曲と世界観が認められればいつか詞だけでもできると言われたんだけど、そこまで頑張りきれなくて、
それで最後にお会いしたのは2016年。きっかり10年前。
『H.Shirahama project 2016』を観に行った時。
前の年にステーション♪の『たまには地元に帰ろうかな』がリリースされたので、そのCDをライブの後に渡しました。

(こちらを書かせてくださったのは、またもう一人の“先生”。私の専門学校生活は出会いに恵まれました)
「これ、詞を書きました」と渡したら、「おお!」と笑顔で受け取ってくれて、それが最後になってしまった。

でも、今日伺って、奥様と話していたらそこまで久々の気がしなくて、写真を見ていたら「おお!」って聞こえてくるようでした。
私としては2枚作った後で自分の意思表示もしっかりすることなく通わなくなってしまい、すっかり不義理を働いて最低だなと思っていたんですが、年賀状だけは出していて、奥様に「年賀状くれていたから、今何を頑張っているかは知ってたよ。彩子ちゃんは文章が面白いから」とおっしゃっていただけて、胸のつかえが取れたような気がしました。
早すぎるけど、69歳。ロックだね。なんか、らしいと言えばらしいような。
先生に結婚祝いでいただいた素敵な食器は、今も我が家で大切に使われています。もちろんこれからも。