先日は8回目のカウンセリング。


母も一緒。


この前の大切な思い出が蘇ったことで少し私の意識は変わっていた。


カーテンを一緒に作ったように、物理的には何でもやらせて貰えた。

大学も大学院(中退したけど…)も行かせて貰った。

そういう意味での愛情は受け取っている。


でも。

母には決定的に共感力がない。

情緒的には子どもの頃から否定され続けていたという私とで2年間平行線の言い合いをしてきた。


どんなに話しても、スタートが違うから交わらないのだ。

生まれてきたことが、生きていることが、最大の後悔で、だから今生きるのも苦しい私と。

主に行けば生きるのが楽になる母と。


情緒的な部分は受け入られた感じはない。

いつも私の考えは否定。

体調不良の私には怒る。


私はバナナとメロンがアレルギーなんだけど。

ずっと信じてもらえなかった。

嫌いなものをアレルギーと言ってたって思われてた。

いや、バナナはともかく高級なメロンまでそういうってどうなの?


で。

テレビでバナナにもアレルギーがあると知って、初めて私を信じた。

つまり私よりもテレビを信じるのだ。


私はいつも怒られながら出されたバナナを食べなかった。

食べても喉が痒くなるだけで、アナフィラキシーまではいかないから。

結局分からないのだ。


そして一番わかり会えないのが、私のマイナス思考。

生まれた時からマイナス思考なんじゃなくて。

病気やHSPで苦しい思いや辛い思いをたくさんして、学校ではいじめられて、病気では怒られて。

どこにも自分が安らげる場所がない子ども時代を送ってそうなった部分もあるし、そこは否定しないでほしいと思っているけど、全く伝わらない。


カウンセリングは母が私の話をじっくり聞くための時間。

いつもご飯や母の話題に逸らすから。


カウンセラーの先生はどこが母が信仰というシェルターから出た瞬間なのかは教えてくれなかった。

私は、母が涙ぐんで「本当に死なないで生きててくれて良かった」と言ってくれた時かと思った。

でもほんの一瞬で、どこまで寄り添っていてくれるのか?って私は疑い深くなってしまった。


というのも、帰宅すると

「でもね結局自分を救ってくれるのは主しかいないのよ」と言うから。


ほらスタートに戻った。

「神様がいるなら、最初から私みたいなの生まれたくなかった」

また平行線。


ここが折り返しだとカウンセラーの先生。

通常なら3年くらい掛かるところを、駆け抜けて来たと。

いったん試験もあるし小休憩だと。


少しずつ変わってきた母とともに、このまま母娘カウンセリングをするのか。

私一人でカウンセリングをするのか。


それはこれからゆっくり考えよう。


来月は私の職場の試験のためカウンセリングはお休み。

「その間にお母さんは聞く力を鍛えに、グループに参加されたらどうですか?」

と言っていたけど。

今まで行ったことないけど。

どうするのかな。