漢字にはちょっとした興味がある。

漢字ばかりでなく、アラビア文字やミャンマーの文字、ヒンディー語の文字なども興味がある。マスターして読めたらどれだけ楽しいだろうと夢想する。

 

漢字は言うまでもなく古代中国の甲骨文字が発祥。漢という国があったらしいが、その時代にできたのかは知らない。ともかく唐字とも随字ともいわず漢字という呼び名が定着している。中国でも「漢字」で通じるのだろうか。

 

中国語を勉強したことがない人でも現代の中国語の漢字は簡略化されているのは知っているだろう。いわゆる簡体字。それに対し台湾や香港を中心とする広東語は日本でいう旧字体の漢字が使われている。繁体字だ。

日本はその中間というべきか。

 

昔は北京語でも簡略されない普通の漢字が使われていたようだ。岩波文庫などの漢詩集を見れば、簡体字などどこにも出てこない。

手書きだと遅くなる、教育するのに手間がかかるなどという理由から簡体字が生まれたと何かで聞いたか読んだ気がする。

 

それにしても漢字は面白いと思う。簡単な例でいうと、「木」があってそれが多くなると「林」になる。もっと増えると「森」になる。

また魚編のついた感じも面白い。鮨屋の湯飲みにあるのか知らないが、魚編の漢字が並んだ湯飲みをマンガでよく見かける。「鮨(すし)」、「鰯(いわし」、「鯨(くじら)」いくらでもある。その多くが読めないし書けない。けど面白い。

ちょっとしたパズルのように感じる。

 

最近は何でもカタカナ語で片づけてしまっているが、明治時代はよく漢字を組み合わせて熟語を作った。「銀行」、「学校」、「電話」などなど。

それと同じような感覚で新しい漢字を作り出すのも一興ではないとさえ私は思ってしまう。例えば「京」をみやこの意味として、そこに住む「人」をくっつけて「にんべん+京」という字で「都に住む人」、なんて漢字はどうだろう?

 

こんな言葉遊びができるのも漢字文化圏の大きな特徴で、面白みではないだろうか。

太平洋戦争敗戦直後に漢字をやめてアルファベット表記にしようという動きがあったらしい。急に変えるのは混乱するから「当面用いる漢字」として「当用漢字」が制定された。

その後この動きは消えたようだが、よく漢字を捨てないでいてくれたと日本の先達に感謝したい。お隣の韓国では漢字を捨てたとまではいかないだろうが、ハングル表記中心になってしまった。よその国の文化にケチをつける権利など誰にもなく、それはそれで尊重しなければならない。

だけど私は日本人が漢字を守ってきてくれたことを感謝しながら、今も漢字を使って文章を書くのだ。