さいたまんぞうさんと『なぜか埼玉』や「スリートーンズ」時代の話を | 西条昇教授の芸能史研究

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エンタメ評論家で江戸川大学マスコミ学科教授の西条昇のエンタメな日々。浅草芸能コレクション、喜劇、ジャニーズ舞台、アイドル、お笑い、昭和レトロ、ブラジリアンダンスのランバダなどなど。

昨日6/22は西荻窪Bar HANAの大塚由美子ママの『プロレス詩』出版記念のお祝いの会@新宿・地下闘技場で司会をされたさいたまんぞうさんと、『なぜか埼玉』が初めてニッポン放送『タモリのオールナイトニッポン』で流された回をリアルタイムで聴いていた時の話などをさせて頂くことが出来まし

さいたまんぞうさんの第二弾レコード『埼玉オリンピック音頭』が同番組で流された回も聴いていました。
さいたまんぞうさんが、ごぼう公夫の芸名でかつて所属していた「スリートーンズ」は、〈べる鈴〉のネタが売り物で、僕は中学生時代に浅草松竹演芸場で観たことがありました。
さいたまんぞうさんが加入する前の「スリートーンズ」にはホラッチョ宮崎さんが宮崎じゅんの芸名で在籍していました。
トロンボーン漫談のホラッチョ宮崎さんは1980年代前半に『ビートたけしのオールナイトニッポン』で、たけしさんが芸名の語呂の面白さから何回も連発してしたことからプチブレイクして番組に出演した回も聴いていました。
同時期に『タモリオールナイトニッポン』で人気のさいたまんぞうさんと『ビートたけしのオールナイトニッポン』で話題のホラッチョ宮崎さんが同じ太田プロの「スリートーンズ」に在籍していたということで幻想が膨らんだ記憶があります。