【西条昇のお笑い史】19歳で清水ミチコと「タモリのオールナイトニッポン」公開生放送へ | 西条昇教授の芸能史研究

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エンタメ評論家で江戸川大学マスコミ学科教授の西条昇のエンタメな日々。浅草芸能コレクション、喜劇、ジャニーズ舞台、アイドル、お笑い、昭和レトロ、ブラジリアンダンスのランバダなどなど。

昭和58年、当時19歳の僕は、友人でプロのタレントになる前の清水ミチコさんと一緒に有楽町のニッポン放送の銀河スタジオで行われた「タモリのオールナイトニッポン」の〈脳味噌JAM'83〉と題したライブ形式の公開生放送をサングラス持参で見に行ったことがある。
中学時代からタモリさんのオールナイトニッポンのファンで、たまたま19歳以上が参加できる公開ライブがあると知り、応募してみたら2名で参加できるというハガキが届いたので、同じくタモリさんの大ファンだった清水ミッチャンを誘ったのだ。当時、ミッチャンはタモリさんのオールナイトの電話コーナーに素人として何度か声の出演をしたりもしていた。
出演は森田一義と脳うにスクラッチャーズ、忌野清志郎&どくとる梅津BAND。
これ、面白かったなあ。
とりわけ、タモリさんの知的シモネタ満載のスタンダップ・トークが最高だった。
目の前で観る清志郎さんのステージにも感激したな。
放送後、始発まで有楽町駅前の吉野家やマイアミで時間を潰して帰ったっけ。