【西条昇の面子におけるヒーロー像研究】双葉山、玉錦ら昭和10年代の横綱たちの角面子 | 西条昇教授の芸能史研究

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エンタメ評論家で江戸川大学マスコミ学科教授の西条昇のエンタメな日々。浅草芸能コレクション、喜劇、ジャニーズ舞台、アイドル、お笑い、昭和レトロ、ブラジリアンダンスのランバダなどなど。

メンコに描かれたヒーロー像の変遷研究シリーズ。
第32代横綱・玉錦三右エ門、第33代横綱・武藏山武、第34代横綱・男女ノ川登三、第35代横綱・双葉山定次の角面子。
昭和10年代前半の少年たちにとって、彼ら大相撲の横綱たち、とりわけ無敵の69連勝を遂げた双葉山は強さの象徴であり、憧れの大ヒーローだったに違いない。
双葉山が台頭するまで圧倒的な強さを誇り、その気性の荒らさから、喧嘩玉、ゴロ玉、髑髏錦、土佐犬などの異名をとるも現役中に急逝した玉錦。右肘の故障で精彩を欠いた悲劇の横綱・武藏山。全盛の頃は193㎝154㎏を誇った巨体で、協会理事廃業後に、衆議院議員選挙落選、私立探偵業、金融業、保険外交員を経て、晩年には料亭の下足番を務めた男女ノ川。僕としては結果的に双葉山の引き立て役に回ってしまった彼ら三人の横綱の人生に興味がある。