黒澤明監督が直々に出演交渉して「生きる」に出演させたストリッパー「ラサ・サヤ」嬢。
黒澤映画「生きる」の前半、胃癌に冒されていることを知った主人公役の志村喬が飲み屋で知り合った小説家役の伊藤雄之助に連れられてパチンコ屋、バー、キャバレーに続いて訪れたストリップ劇場の場面で踊っているのが、ラサ・サヤ嬢である。
このラサ・サヤ嬢、橋本与志夫・著のストリップ史「ヌードさん」には、昭和25年に新宿セントラル劇場からデビューしたストリッパーたちの中に名前が並べられているだけで、詳しい記述はない。ググってみても、「生きる」に出演したストリッパーという情報ぐらいしか出てこない。
僕の手元にある昭和25年の新宿セントラル劇場のプログラムに、写真とともにプロフィールを紹介する小さな記事が載っていた。
曰く、「その南国の魅力を湛えた芸名とともに、エキゾティックな風貌と逞しい肢態と、粘りのある踊りで彗星の如く出現」と。
これを書いた人、上手いなあ。まさにドンピシャ!
キャバレーで酔って「ゴンドラの唄」を歌った志村喬が伊藤雄之助に担がれて店を出て行くと、満員のストリップ劇場に画面が切り替わり、ラテンのパーカッションのリズムに乗ってラサ・サヤ嬢が腰と腹と手足をくねらせ、腰にまとったものをゆっくり脱ぎ落とすという「粘りのある踊り」を披露してみせる。
黒澤監督は他の場面の飲み屋の女性などは下品で擦れた感じに描いているが、このラサ・サヤ嬢にはエキゾティックでキュートな哀愁と品が感じられるのだ。
この当時、新宿セントラル劇場には、ヒロセ元美、吾妻京子、パール浜田、ハニー・ロイなど、もっと格上で売れっ子のストリッパーたちが出演していたが、同じ新宿のムーランルージュにも通っていた黒澤監督にとっては、あえてズキュンと来たラサ・サヤ嬢ということだったのだろう。
しかし、そのステージの一端が「生きる」に永遠に刻まれたラサ・サヤ嬢の名前が、歴代ストリッパーのベストいくつといった括りで登場することはほとんどない。
これは、おそらく「生きる」出演後間もなくステージを退いたからではなかったか。
それでも、僕らは、いつでも「生きる」でラサ・サヤ嬢のステージに触れることが出来るのだ。
ラサ・サヤ嬢と、現代のみおり舞嬢の時空を超えた夢のコラボ・ステージとかも見てみたいな。