【西条昇の浅草喜劇史コレクション】石井均の劇団「笑う仲間」を特集した昭和34年の「週刊朝日」 | 西条昇教授の芸能史研究

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エンタメ評論家で江戸川大学マスコミ学科教授の西条昇のエンタメな日々。浅草芸能コレクション、喜劇、ジャニーズ舞台、アイドル、お笑い、昭和レトロ、ブラジリアンダンスのランバダなどなど。

手元にある、石井均が座長の劇団「笑う仲間」を特集したグラビアページのある「週刊朝日」昭和34年3月22日号。
題して、「浅草の灯の下で」。
石井均は新宿フランス座をコメディアン仲間の戸塚睦夫らと脱退して、劇団「笑う仲間」を結成し、浅草松竹演芸場に出演。
早稲田大学の生協で働きながら新宿フランス座の常連客となっていた伊東四朗も、石井の劇団結成と共に役者として参加している。
浅草進出から程なくして、週刊朝日のグラビア5ページで特集されたのだから、相当な注目度だったのだろう。
同じ浅草松竹演芸場に常打ち出演して人気を博していた「デン助劇団」の大宮敏光からいじめられたと、後年、石井さんに取材した際に語っていた。
浅草松竹演芸場の屋上から六区の通りを一座の皆で見下ろした見開き写真の下から四人めが石井均、七人めが当時21歳の伊東四朗、十人めの身を乗り出しているのが戸塚睦夫である。
間もなく「笑う仲間」を解散した石井は「石井均一座」を結成して新宿松竹文化演芸場に定着し、テレビや映画にも一座でユニット出演を果たしている。
また、その頃には財津一郎が座員に加わっていた。
数年後、石井は一座を解散し、曽我廼家十吾が率いる「松竹家庭劇」へ加入。
残された戸塚と伊東は、新宿フランス座に居た三波伸介と「ぐうたらトリオ」を結成し、やがて「てんぷくトリオ」と改名して世に出ていく。