この時の第一共盛館では青木一座の玉乗を興行中。
青木太夫元に贈られた幟か掲げられ、「娘玉のり」との看板も出ている。
当時は同じ並びの十二階近くにある江川大盛館で、江川一座の玉乗が常打ち中であり、同じ娘玉乗の一座同士での興行合戦が繰り広げられていた。
第一共盛館に隣接した第二共盛館では、中村歌扇らの娘芝居が行われており、江川大盛館に隣接した清明館では、中村美正ら女役者たちによる浪花踊が興行中。
当時の浅草では若い女性たちによるエンターテイメント集団が人気を博していたことが分かる。
やがて第一共盛館は映画常設館の大勝館に、第二共盛館は世界館となり、大正期は曽我廼家五一郎一座が長く興行したが、昭和に入って世界館は大勝館に吸収された。
その後の大勝館から現在のドン・キホーテになる流れは前に書いた。

