三昧について

 

一つのことに没頭する様子を「○○三昧」という。この三昧という言葉は、元々は仏教の言葉である。右記の使い方をする時は「ざんまい」と発音するが、これは音便による音の変化であり、本来の読み方は「さんまい」である。

 

三昧はサンスクリット語のsamadhiを音写した言葉であり、心を静めて一つの対象に集中させた状態を意味している。修行によって三昧に到達することによって悟りが開かれるとされ、やがて三昧を目指して修行に専念すること自体を三昧というようになった。特に日本では浄土宗における専修念仏や曹洞宗における只管打坐のように、修行を一種類に絞る宗派が現れ、一つの事柄に専念する意味が強くなる。更にそこから宗教的な意味が消え、冒頭に記した使い方になったと考えられる。

 

一つのことに専念することは迷いなく集中できるという利点があるが、考え方が狭くなり排他的となる恐れもある。浄土宗では念仏を正行、それ以外は念仏を補佐する助業としている。念仏を第一としながらも他も否定しない。そう心得るのが浄土宗における念仏三昧である。