今日も朝一番に庭の植物に散水。
大きな麦わら帽子を被って、リュックを背負い、
いつもの京都・桂川沿いのウオーキングコース
を歩く。陽射しが強い。
連日、短いズボンでウオーキングしていたので、
脚の日焼け(ソックス跡)は御覧のとおり。
京都・桂離宮畔の「中村軒」に立寄って、
今日は「くず桜」を購入。
桂離宮を一周した後、郵便局とスーパーへ。
大汗をかいて帰宅し、シャワーを浴びて、一休み。
抹茶を数服いただいた。
今日もそうであったが、
故郷で入院生活を送っている弟に係わる故郷の諸手続
き等に手がかかるが、肉親は私しか存命していない
ので、生きている間は頑張って後見しようと思う。
---------------------------------------------------------
しかし、良く考えてみると、私は、上京以来、半世紀
の京都の方が住み慣れているので、居るだけの余所者。
既に見るべきものは見たし、聞くべきものも聞いた。
元同僚や仲間や恩師や御縁のあった方々等も、
次々と居られなくなって来ているうえに、
デズニーランド化している京都では商業主義の嵐が
吹いていて、どんどん本来の風情は失われている。
そんな町に、果たして、ポツンと一人で生きる意義が
あるのだろうか? いっそ、京都から故郷へ引き揚げ
た方が良いのではないのか?<現在、自問自答中>
お稽古を休止中の教室の再開を、お弟子さん達から
強く求められているし、茶道の大先輩は御高齢で、
現在、手術・入院されているので、簡単に結論は出せ
ないだろうが、いずれは大きな一歩を踏み出さざるを
得ないだろう。それまでの間に、あの世に行けたら、
それも風流かも。
(了)