京都 de 茶の湯

京都 de 茶の湯

茶の侘び寂びの境地を求め、起きて半畳寝て一畳、ご飯食べても二合半の簡素な生活を送っています。四百年以上の歴史を有する鹿児島示現流剣術門友の薩摩隼人です。

今日も京都は晴れ。

今日のお菓子は、京都・桂離宮畔「中村軒」さんの

「黒豆大福」です。

まず、昨日、柳桜園さんが届けてくださった「松の白」

を開封して、薄茶を点てます。

先日は、高名な「出町・ふたば」さんのものを

いただきましたが、どちらも、美味しいものです。

美味しくて三服いただきました。

私は、この「俊寛」(写)の楽茶碗を、大黒(写)

とともに、愛おしく感じています。

<本物を持つほど、金持ちではありませんから、

(写=コピー)で満足しています。>

 

それは、利休さんが「俊寛」という名をつけられ

た経緯によります。

▲「平家政権の転覆の謀議が露見し、当時、世の果

 てと思われていた喜界ケ島に流刑にされたのは貴族

 2人と俊寛僧都の3人。後に赦免された2人の貴族は

 迎えの船の乗って帰国しますが、赦免されなかった

 俊寛だけは取り残されてしまい、困窮と孤独のうちに

 島で没します。」

▲「利休さんが、大名などのお弟子さん達の前に、

 幾つかの茶碗を並べて、「好きな茶碗を持って帰って

 良いよ」と言われた時のこと。

 一つの茶碗だけが残されました。そこで、利休さんは、

 その茶碗に、喜界が島に取り残されて、孤独のうちに

 没した「俊寛」の名を付けられました。」

▲「同じように、取り残された赤楽茶碗に、風習として

 柿の木に一個だけ残される「木守」の実に因んで、

 利休さんが「木守」という名前をつけられたものも

 あります。」

▲「検校」という名前の茶碗も、同様の経緯で「誰も

 この茶碗の価値が分かってないなあ」と言われながら

 名をつけられたそうです。

▲利休さんは、凡人には見いだせない真の価値を見抜く

 能力を備えておられたのでしょう。

 

私には、自分の器量を弁えて、表舞台に立たずに黒子役

に徹し、誰からも認められること無く、孤軍奮闘した

自分の人生に、利休さんから認められ、慰めを与えて

いただいているように感じられるからなのでしょう。

(了)