十キロのゴミが手元にある。米だ。これだけ不味い米がこの世にあるとは想像ができなかった。

 

最初に炊いたときは単純に炊き方が間違っていたのだろうと考えた。二度目に炊いたときはもう少し水を増やす必要があったのだろうと反省した。三度目で炊飯器が壊れたのだろうか?と思えたがさすがに気づいた。問題は米自体にある。

 

米を買ったときにたまに手ですくって匂いを嗅ぐような時があり、記憶にあるその匂いとは何かしら甘いような匂いがあった。しかしこのコメの匂いときたら自然ではあり得ない化学的成分を醸している。匂いと味とは相関の関係にあるようだ、匂いが悪くても味が良ければ問題を感じなかったというのに…

 

日々口に入れるものが不味いのなら、日常の幸福指数は下がるだろう。これに関しては拷問の域に達している。残飯レベルの不味さである、日に一回茶碗一杯食べる日々を三日続けられたのが奇跡である。日々培ってきた勿体ない精神の賜物といえる。

 

炊飯器に炊いた米が入っているというのに、空腹に苦しむとはある意味悲劇である。

スーパーで買えばよかった、さすがにこのレベルは置いてないだろう。二度とあんな自販機で買ってたまるか、食わずに捨てるなんてお米の神様に怒られるだろうが、罪があるのは販売元だろう…詐欺だ、詐欺られた。いい勉強になった。