小さい秋








小さいあ~き~









小さいあ~き~











小さい空~き~










み~つけた~








最後の空手家そして行政書士  芸能人と合コンするまで負けません!ブログ














こんばんわ






廃人28号の






鈴木です











突然ですが








風俗嬢のみなさん





みなさんは自らの仕事に誇りをもっていますか?





身体を売るというのは





魂を売るに近い





周囲の目は大変厳しく



そして



好奇と蔑称の目で見られることも久しからず





湯水の如く手中出来るお金




中には1週間で3ケタを稼ぐ者もいる




その代償として



性の商品としてのレッテルを貼られ




性病の罹患に脅え




心に闇を持ち




精神を崩し




薬に走る者




自らを傷つける者もいる







しかし迷える風俗嬢よ








忘れてはいないか?








君たちが歩んでいるその道






100年以上も前に道を踏みならしている誇り高き遊女達がいたことを








そう





吉原遊女だ







そして





その中でも大変高貴な遊女












花魁










この花魁





位の高さは客以上





何せ客が座敷に上がっても





上座に花魁 下座に客





その上




初会はこの花魁の口を利くどころか、近づくことさえままならない




それも花魁が初会で客を気に入らなければ二度目もないという超上から目線





裏(二度目)に行けたとしても、初会よりも花魁と客の物理的距離は少しは縮まるが、身体さえ触れられない






そして3度目になってやっと御膳が運ばれ接待され、上手くすれば床入れといった具合だ





ここまでの行程に消費する費用を現代の金銭に換算すれば






ざっと200万~300万





ただしこの金額







3度目で床入れでき場合の金額だ





ちなみに





身請け(足抜け)となると1000万以上の金銭を支払う






こんな待遇だから





彼女等吉原遊女はみな誇りをもって身体を売った





もちろんその誇りに見合う






教養と品格を





たえまぬ努力によって身に付けていたのは云うに値しない






また





彼女等は身体を売るという行為を不浄に感じていなかったのではないか





何故なら女性が身体を売るというのは元を辿れば





神社の巫女さんが官人を接待することがそもそもの起源なのだ





だからこそ遊女達は身売りの中にでも誇りを持ち続けられていたのかもしれない





そして吉原遊郭には社会構成の大きな担い手としての顔もあった








老齢により売りが出来なくなった女性を、飯炊きや針子で再雇用するなど現代日本が見習うべき再雇用システムそして職業倫理が存在していた




つい売りというと暗渠なイメージが付きまとうが




あの時代は全部が全部そうではなかった






また





吉原遊郭は文化の発信地でもあり





ファッションから古典芸能、町人社会から武家社会まであらゆるジャンルに影響を与えていたのだ







どんな世界であれ






その歴史を知ること





それこそが自らの存在意義





そして





誇りを見出せる





キッカケになるのではないだろうか?





よって男性が




風俗にイクことは別に性の捌け口ではなく




歴史を知り 文化を知るためにイクわけだ






まさに









慰文化コミニケーション








プライスレス





イクとこは沢山あっても





帰るところはココだけよ