この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたる ことも なしと思へば

 

 「この世で自分の思うようにならないものはない。満月に欠けるもののないように、すべてが満足にそろっている」――この時点で3人の娘を次々に天皇や皇太子の后とした道長が、得意満面に詠んだ歌とされてきた。だが、京都先端科学大学教授の山本淳子さんは、これまでとは異なる「望月の歌」、十五夜の満月の新解釈を発表した。

 

鉄兜の夏布兜の矢作川の秋陶器兜、逆立ち犬兜の将軍誕生。=アンギアリの戦いは春→夏→秋=HISTORU,イエス(証矢)のアナニ(穴に矢)の物語で、幼児から青年→成人、渥美清に成る宇宙の湯にバースする孫悟空、西遊記の寝観音に闘って神に成る、旭を迎える親神の話である。

 

 

近年の研究では、どうやら道長は得意満面にわが世の春を謳歌するような状況ではなかった(泣く菜な鶯、未図を建てる名愁具椅子、平安京。797=80、矢蘇の読み返り、蘇る、甦る、黄泉から帰る神ロギ、炉魏の釜まで三位のミスの餅撞きの勉強(ウサギ、生詐欺の反省)がある)こともわかってきた。

 

七重八重(夏→春=菜名→廿=世の完成)花は咲けどもむ紫(911テロの統一=原爆、腹暴れの復活=箱根八里は馬でも超すが、超すに越されぬ大井川、五十鈴(主図)川)の欠けたることをばなし(前方後円墳=午前午後)と思えば