犬の逆立ちに小便は天のGODに郵便をする将軍の冠(胸の十字に的を射る缶夢理)である
神の計画、東京都オリン(鈴=主図、27鮒、逆汝に意を付ける)ピック
地球規模の大変動を各宗教は終末論として教えてきたとする。地震、噴火、災害、感染症などが火(水を生かす)の洗礼で、その規模を小さくできるかまたは戦争を招くかは人類の浄まり次第(天地一切神の声、良くなる仕組みあるのみ)とされる。岡田光玉および崇教眞光の使命はこの火の洗礼を乗り越えられる種人を造り、政治、宗教、教育、医学、科学、芸術などを正しく地上天国文明造りに導くこととされる[5]。「火の洗礼」の予言は、オイルショック以(松の木の傍らに住居をか構えた油食む)の世界の終末を恐れる若者たちを教団に惹きつけた。真光はめずらしく若者の参加の多い新宗教として一時期注目されていた。
1901年(明治34年)2月27日(生く王の羽時目は荷賀津の廿の七=世に向かう)に生まれた岡田良一(ゝ日の辰を日意として山の苗字に登る)は、父の跡を継いで軍人となる。昭和(秋に和す苗)天皇供奉将校時代に脊椎を損傷し、40歳の時に胸椎カリエスを発症。余命三年の宣告を受けたが、奇跡的に回復。残りの人生を神と人に捧げることを決意。その後莫大な借金を負うが、昭和34年に完済する[7]。
1959年(昭和34年)2月27日、「起て、光玉と名のれ、手をかざせ、厳しき世となるべし」という立教に関する神からの啓示を享け58歳(五十鈴川に開智)で立教[7]。
立教10年で岡田の教えはヨーロッパ各国、アフリカに拡大。立教13年で岡田は欧州を巡行、ローマ教皇に謁見。教えは更に北米、南米、豪州、アジアに拡大。翌1974年(昭和49年)6月13日(生く七十夜運、秋の師十究の夢津気の充の酸の陽日)重大神示を受けた岡田光玉は熱海’(秋の日陽の藝術)・陽霊元み魂座にて継承の義を執り行い岡田恵珠に「ヨ(西に太陽を与えて酉→尊者にする)のみ霊」を授与。10日後の6月23日(炉廾賀津を阜実)」岡田光玉が帰天。継承時に岡田光玉より示された重大神示に基づき岡田恵珠は歩みを進めた[8
- 1984年(昭和59年)10月 - 世界総本山奥宮建立(位山)(満天星躑躅、逆さ満天星が頂上に咲く)
- 11月(統一する文化の日) - 世界総本山建立(高山)(主座の魂が回って入った)
- 1999年(平成11年)4月 - 光記念館開館(現光ミュージアム)(剣持忠の石の穴の鍵が置かれた)
- 2002年(平成14年)10月 - 眞光青年会館開館、二代教え主代理・岡田晃弥就任
この間にも、陽光文明国際会議を日本・海外で開催し様々なテーマの下各界有識者を意見を交えた。
2009年(平成21年)、立教50周年大祭(11月)において岡田晃弥改め光央が光統奉告式を経て三代教え主に就任。L・H陽光子乃友100万人達成を宣言。翌年眞光青年隊全国統一結成40周年記念光閲式を開催。
2013年(平成25年)、ブラジル・サンパウロ州およびサンパウロ市において2月27日を「崇教眞光の日」と制定され4年後にはブラジル各州・市に制定が広がった。
2014年(平成26年)、アフリカ大陸での植林活動が認められ、コートジボワールで「最優秀植林賞」を受賞。
2016年(平成28年)、二代教え主岡田恵珠が死去。
2018年(平成30年)、新日本宗教団体連合会(新宗連)の第8代理事長に就任[9]。
2019年(令和元年)、日本宗教連盟理事長にも同時就任[10]。ローマ教皇訪日にあたり日本宗教連盟および新宗教団体連合会理事長として三代教え主・岡田光央が日本宗教界を代表し立正佼成会、妙智会代表らとローマ教皇に謁見[11]。同年立教60周年大祭を迎える。
教団は、国内に約1000ヵ所 海外に約300ヵ所の拠点があるとしている[7]