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母は旅立ちました~娘のつぶやき~

スキルス性胃がんが見つかってから、約1年4カ月。抗がん剤治療を止めて、緩和ケア病棟に入院していた母は旅立ちました。母大好きなアラフォー娘のつぶやきです。

そして、母はやはり「抗がん剤をしない」という決断をした。


で・・・


すぐに緩和ケアに興味を持ったわけではなくて。。。

ものすごく高額のサプリを、いとこにすすめられて、それを

試すことにしたんです。



別の抗がん剤を・・・と先生に提案され、考えさせて欲しいと

話をした帰り、仲良くしているいとこの家へ寄ったそうで、

そこでいとこに「これまですすめなかったけど、こういうの

知ってるけど試してみたら?話だけでも聞いてみない?

今電話してあげるよ!!」と言われたらしい。


父も一緒にいたんだけど、母の意思を尊重している父は

口を出さなかったらしい。


※このいとこ、本当に面倒見のいい女性で、騙そうとか

そういう気持ちはまったくなかったと思うんです。



とんとん拍子に話はすすみ、いとこ宅へすぐに業者の方が

きて、とりあえず半年分買ってもらったら半額で提供します、と

言われて翌日には振り込んでいました・・・ ←事後報告



半額でも○百万円也!!!!!

まぁ、母のお財布から出ているので何も言えないけど。


その話を聞いた兄とは電話で

「ありえない話だよね・・・でも、母がそれで希望を持ってくれる

なら、家族は見守るしかないよね」と。。。


そしてサプリ生活突入。



「お腹の方に散らばったがんが悪さして、お腹に水が溜まっている

と言われた」と母から告げられたときのこと


あまり覚えていない・・・・


泣いたっけ?

頭ぼーっとしたっけ?

母に何と声を掛けたっけ??


思い出せないなぁ・・・



「先生に別の抗がん剤をやりましょう、と言われてね。でも、ちょっと

きついかもしれないし、髪の毛や眉毛、まつげも抜けちゃうかもなぁ、

って話だったから、考えさせて欲しいと返事をして帰ってきた」

母がそう言った。


そして

「いつまでやるんですか?って聞いたらね、いつまでとは言えないけど

と言われたよ。もう最後までってことだなってお母さんは思ったから、

これまでのがんばろう!って気持ちが全然わかなかった・・・乳がんの

ときの抗がん剤で髪が抜けちゃったけど、あれももう嫌だし・・・」と。



わたしは母は抗がん剤治療をもうやらない、と言うんだろうな、

と思ったし、わたしも実のところ苦しんで髪の毛も抜けて、しかも完治

しない、そんな治療嫌だな、と思った。


ちょっと脱線します~


1年間の抗がん剤治療の間、ずっと辛かったわけでは

なかったと思う。


「よくなるんだ!」という気持ちも持ち続けていたし、

薬がお休みのときには食欲もあり、わたしたちとよく

ランチに行っては1人前をペロリとたいらげていた(*^▽^*)


40回目の結婚記念日をみんなで祝ったり、

母の兄夫婦と日帰りだけど、数回遠出もしているし。


父と映画を見に行ったり、わたしとショッピングへ出かけたり

孫たちの試合や運動会も見に行ったりしていた。



母も、この1年間を振り返って

「体は辛かったけど、幸せな日々だったなぁ~」と言ってます。



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抗がん剤治療、もうすぐ1年というところで、次の問題が

起こったんだけど、だいたいにその1か月前ぐらいから

母は「全然食欲がない」「体調が悪い」と言い始めていた。


そして「お腹がぽっこり出てきたんだよ、なんか張ってるし」

と言いだした・・・


1年間大変だったけど、楽しく過ごしている姿もたくさん

見てきたし、わたしの中で母は闘病中ってこと少し忘れ

かけてたというか、意識しなくなっていて・・・

でも、頭のどこかでは「いつどうなるんだろう」という

思いもあって。


なんか、書いていると矛盾してるようけど・・・

このままの状態が続いて欲しいけど、そうはいかないって

ことはわかっているし、だけど、なるべく考えたくなくて。


だけど、考えておかなきゃ、いざそうなったときのショックで

わたしはおかしくなっちゃうんじゃないか、って思いもあって。


でも、本人が一番いろいろ考えていたんだろうけど・・