九州水害災害ボランティアを求めています。
最近、更新をサボりすぎ^^;
mixiの春吹風さんより拡散依頼を受けましたのでご報告です。
ただ、内容の確認が私(ジョナサン)の方で出来ていないことご了承ください。
以下、転載内容です。
===========================
お願いします。
皆様 ご存知の通り、九州を襲った水害が予想以上に凄まじく、
特に日田市の被害状況が大変な模様です。
和歌山県と同じく、社協も混乱しており、
ボランティア受け入れを躊躇しておりましたが、
4日に日田市ボラセンが立ち上がりました。
近隣市町ボランティア受け入れOkという事ですが、
実際のところ、他府県でも「各々で宿泊等々を確保」して頂けるなら
是非 お手をお借りしたいとの事。
今、水害復旧が始まったばかりですので、
かなりの混乱状態かと思われます。
情報も混乱しております。
同じ水害被害を受けた和歌山県民の1人として、心からのお願いです。
動ける方は、どうか九州方面の御支援も、お願い致します。
詳しくは↓
日田市 福祉協議会 ボランティアセンター
0973-24-7026
ボランティア専用電話
※ボランティアを行う方・ボランティアに来てほしい方共通
080-6407-3506
080-6407-3502
大分県外からのボランティア対応受付電話
080-6407-3481
http://
名古屋市中村区で 絆代表 吉村氏参加の講演会
絆の方々と活動することはあっても実際その代表吉村さんとお会いしたことがないまま過ぎておりました。
その吉村さんがなんと名古屋市で講演会に参加なさるという。
しかも、家からもかなり近い場所での開催。
この日、仕事で動けないことが本当に悲しいのですが。。。
はぁ~、行きたい(;;
吉村氏のブログからの転載。
(問い合わせ先の電話番号、メールアドレスは
省きました。下記URLより確認してください。)
http://p.tl/-hQc
以下、転載。
******************************
いのち 絆 支えあい
~そこから生まれる大切なもの~
オープニングトーク(13:00~15:00)
大谷貴子氏(全国骨髄バンク推進連絡協議会前会長)
テーマ:生きてるってシアワセ!
分科会(15:30~17:30)
(お好きな分科会をお選びください。)
① 中谷雄二氏 (名古屋共同法律事務所 弁護士)
テーマ:「障がい者を護る~そこにあるのはかけがえのないいのち~」
② 吉村誠司氏 (ヒューマンシールド神戸 代表)
テーマ:「震災から学ぶボランティア~そこから広がる支えあい~」
③ 小山田政義氏(一般社団法人日本あいさつ検定協会 代表理事)
テーマ:「あいさつ検定って何?~そこから生まれる人との絆~」
日 時:2011 年11 月26日 (土)13:00~
場 所:知的障害者自立援助の館 べにしだの家
参加費:2000 円(交流会費含む)
各プログラム単発での参加の場合は各500 円 ※交流会のみは1000 円
主 催:ボランティアフェスティバル2011 実行委員会
:社会福祉法人あさみどりの会
後 援:愛知県社会福祉協議会・名古屋市社会福祉協議会・中村区社会福祉協議会
申し込み
あさみどり会館 担当 川村・平野まで 電話・FAX・メール・郵送にてお申し込み下さい
べにしだの家
〒453-0843
名古屋市中村区鴨付町2-46
①番のりば 稲西車庫行「鴨付町」
下車徒歩5分
②番のりば 戸田荘行・服部行「岩塚本通4丁目」
下車徒歩5分
会場連絡先:℡052-413-6531
チラシURL http://homepage2.nifty.com/asamd/23vfes.pdf
小型車両系建機 合格しました。
ほとんどの方が受かるらしいのですが、これで機体重量3トン未満の車両系建設機械での整地・掘削・運搬等の作業が出来るようになりました。実際に使えるものとしてはミニ油圧ショベル、ホイールローダーなど。(ただし、ミニ油圧ショベルの先のアタッチメントを変えてコンクリートなどのハツリができるブレーカーを取り付けての作業は出来ません。)
一日目は学科で二日目は実技。
実技は点数を教えてもらわなかったのでわからないのですが学科の満点ゲットは比較的取りやすいとはいえ気持ちの良いものですね。
二日目は試験のあるミニ油圧ショベルのほかに、試験は無かったのですがホイールローダーの動かし方もあって、すごい濃い一日でした。(濃すぎてホイールローダー忘れてしまうなぁ。ホイールローダーだけ別日にしてほしいぐらい。)
チェンソーを業務で使うときに必要な「伐木等の業務に係る特別教育」に続いての資格取得。機会があれば他にもいろいろ取得したいものがありますが、今は時間の都合のほうが難しくあります。
ただ、昔アマチュア無線の資格を取っていました。それはもう相当前の話でその当時、電話級と呼ばれていた資格。今は4級とよばれているもの。取得して、実は430MHzのハンディー機も買っていたのですが、なぜか開局もしないまま、長い月日が流れ…というわけです。
5年の期限ということだけなぜか頭の中に残っていてもうすでに期限は切れているだろうと思い込んでいました。
5年の期限というのが局の期限であって、取得した資格のほうは永年大丈夫だというのを数日前に再確認…というか知りました。^^;
とりあえず免許再交付申請中。
ほとんどというかまるっきり新品状態のICOM IC-03Nという、今となってみればどでかいハンディー機ですが、災害での使用を含めたアマチュア無線本来の使い方を今一度確認しておきたいと思い、今度はちゃんと開局までたどり着こうと思っております。
ひーさん、紀伊民報に載る
http://www.agara.co.jp/modules/dailynews/article.php?storyid=220059
ここしばらくも那智勝浦には行く時間は無くなってしまったけれど、今までの過程の中で復興の一部となれたことは恥ずかしながらちょっとだけの自慢。
絆のメンバーと濃い活動もできたし、ひーさんこと肥田さんとも知り合うことができた。
ひーさんをはじめ絆の活動の凄いことは発災してすぐに現地に入ることと
あくまでも主は地元にありきという点。そして、最終的には地元がいかに自立していけるかを
サポートしていく姿勢にあると思う。
ボラ活動を自分たちの好きなようにやって結果、地元民と自治体の間に溝を作ってしまうような活動にならないところが本当にすごいと思う。
那智勝浦町の町立市野々(いちのの)小学校の泥かき
オンザの元気祭の時にも話が出ていた市野々小学校の泥かき。
トムさんのブログ でも話が出ていて、また元気祭の時にご一緒した絆のメンバーからもその話は聞いていました。
残念ながら行くことはできなかったのですが(涙、
物資の方でわずかばかり協力いたしました。
和歌山放送のページに記事が上がっていたのでリンクを貼っておきます。
http://www.wbs.co.jp/news.html?p=37840
オンザロード 『 東北応援 ★ 元気祭 』 に行ってきました
しばらく更新サボっていましたm(. .)m
というのも現地の活動に行きたくてもいけない状態が続き、フラストレーション
たまりぱなし。
那智勝浦は災害VC閉鎖後もまだまだ酷い状態が残存しているそうで、仲間たちは
今でも現地で活動しているのを知り、本当に居ても立ってもいられない気持ち
になっておりました。
ブルーな気持ちを通り越して黒に近い色合いだったような。
更新する気持ちにも成りづらかったというところが本音でした。すみません。
7日の活動は無事終了いたしました。
その後、那智勝浦には私の都合がつかなくなり始めて、
現地で活動できることということで、名古屋市守山区中志段味の野田農場という
ところで台風15号のときの庄内川氾濫によって水害被害が発生していて、
そちらの方への片付けにも時間を作りながら2回ほど入ったりもしました。
ただ、遠方には行けないけど近場で仕事後ならということで
今日は名古屋市の新栄、雲竜フレックスビルにて『 東北応援 ★ 元気祭 』に行ってきました。
先ほど帰ってきたばかりです。
(見ていた場所はミキサー?のすぐ後ろから。ステージ上はオンザロード代表高橋歩さん。)
主催は那智勝浦で活動していたときに絆と協働していたオンザロードという
NPO団体。
那智勝浦では絆に混じって活動していましたが、9月下旬からは現場には知っていた
本田さんがいて、その本田さんに呼ばれて活動することが多く、その本田さんはまた
オンザのメンバーから頼られることが多く、必然的に現場での活動はオンザとともに
活動していたということになりました。
そこで知り合ったてつろうさん、かんじさん、みおさん。
今回この元気祭に彼らとこの名古屋の地で会えることを楽しみにしていたことも
あります。久々に会い、熱い気持ちがふつふつと沸きました。
なんと水野美紀さんも飛び入り参加でした。
今回、絆のあいこさんとはご連絡つけてはいたのですが、絆の肥田さんと樋口さんも
ご来場されていてびっくりでした。
オンザロードはボラチームの中でもガテン系といっていいほどですが、熱い奴らの
集まりですし、その中に入るということは男してもこれはもうある種の気持ちよさも
あったりもします。
そんな奴らの元気祭、ここしばらく活動したくてもまったくできない私のフラストレー
ションもある程度ふっ飛ばしてくれたような気がしています。
すごく気合が入りました!
また時間が合えば活動することはもちろん、離れていても心は1つであることを
はっきり確認いたしました。
10月2日(日) 熊野市五郷町にて災害復旧活動の報告
朝5:30頃起床。
朝ごはんを頂き、皆さんともしばしのお別れ。本田さんともまたの出会いを約束し、熊野へ出発しました。
今回参加するのは東紀州コミュニティデザインという災害ボランティア活動もしている地域コミュニティ。
インターネット上にあるあるページに目が留まり、災害被災地でチェンソーを使えるものを急募しているとのこと。
那智勝浦から帰るための予備日としていたその日にちょっと無理すれば寄って活動も出来ないこともない。
そこで主催者の端無さんにお聞きしてみると、何とか自分でも役に立ちそう。
これはもう行くしかないだろうと決意したしだいです。
国道42号を小阪交差点から外れて国道309号しばらく行くとそこは三重県熊野市五郷町寺谷。
大又川周辺の倒木、流木を処理してほしいとのこと。
行政の方でもできないことはないが、いつになるかわからないし、また地元の方々が荒れた風景を見つづけていることで気持ちも荒んでいくのでできれば早く片付けてあげたいという端無さんのお気持ちがあってのことらしい。
また、災害ボランティアの動力機械、重機を使ったレベルアップはとても必要なことと思うし、またそうしたものを積極的にこれからは育てていく必要、使っていく必要、望んで学んでいく必要がとてもあると思う。
端無さんのお話を聴いてうなずく部分が多かった。
さて、今回、参加されたのはチェンソー持参で来た自分を含めて7名と地元のお手伝いの方2名。
いつもチェンソーを使っているのは自分一人だけという状況で、このように多くの方と作業するのは初めて。
それぞれが相当の稼働量だったので、すごいスピードで片付いて行ってしまいます。
中には日本財団の黒沢さんの要請で来られた神戸ののぶさんがいらっしゃいました。
お名前はほかの方のブログでもよく知っていたので、お会いできたことがうれしかったです。
しかも、のぶさん私がここへ来る前に那智勝浦にいて、まったく同じお宅で作業されていたのはびっくり。
でもみなさん、私よりずっと経験値の高い方ばかりで、すごく勉強になりました。
一番厄介なのはかかり木状態にあるものでしょう。
災害によって形作られたかかり木ですので、伐木で起こるものよりずっと変な形になっていたりテンションがかかっていたりするので、見極めが本当に難しいと思われました。でも、作業にかかる前にじっくりじっくりその木の状況を判断していくやり方、その見極めの目を持つことなど、すごく勉強になりました。
その他、斜面にひっかっかった倒木などのロープを使った持ち上げ方など大変参考になりました。
また、今回初めて投入したフェリングレバー。これすごく便利でした。
やっぱり道具ですね!
災害復旧現場だったのですが、わたしにとってはまさに災害チェンソー使用の講座といっていいほど。
次回機会があったらぜひ参加したいと思っています。
10月1日(土) 那智勝浦町にて災害復旧活動の報告(2)
で、作業開始。
残っている板を床から剥がしていきます。
簡単にはがれるものもあれば壁側に嵌っていて取れないものもあります。
真ん中の部分の板を何とか破壊してのこぎりを入れるスペースを作り床板をある程度まで切っていきます。それでようやく床板を持ち上げる形にはできますが、横スライドを少しずつさせて引っこ抜く形で抜ける側もあれば、きっちり嵌っていて抜けない側もあります。そこは仕方なく床板を持ち上げて嵌っている部分を支点にして折り割るしかないようです。
ある程度、床板を剥がすと近くで水害ごみの分別をしていたオンザロードのかんじさんからこの後板をどうするかの確認がありました。大きなガレキ類はこの日を持って収集を終了するようなことを聞きました。そして収集車は午前中までに撤収するとのこと。突然のことで驚きましたが、とりあえず今出た板を何とか早急に対処しなければなりません。やはり家主さんに確認が必要ですが、家主自身なかなか結論がつかず。でもその場で床板を残すと判断したとしてあとから気が変わりやっぱり処分ということにでもなれば、女性の方お一人の家主さんで片付けしなくてはならなくなります。洗って使うという気持ちも若干あったようですが、見たところかなり水分を含んでいる様子ですし、やわらかくもなっておりました。私としては後からの処理の辛さを考えると破棄をお勧めしましたが、最終的には家主の方のご判断が出来るまで時間がかかり、また収集車がいる時点で判断しなければならず、災害VCから来た班内に入ってもらったボラの方には右往左往してしまう状況と成り、この場の責任者としてもまずそのことで気を使うこととなりました。
また住宅密集地区で今回任されたお宅は住宅街の奥まったところにあり、土砂を出すに
も場所がありません。本当ならダンプが入るところまでいったん土砂を出したいところでありますが、その前にあるちょっとした空き地は、あるお宅の庭のようなところで、そこは前に土砂だしをして石灰撒きがし終わっていてる状態なので、そこに少しの土砂を出すのさえ断られてしまいました。オーダーとして土砂だしをしなければならないわけですが、それではまったく活動が出来なくなってしまいますし、そのためきてもらった一般参加ボランティアの方にも何も出来ない状況となってしまいます。また依頼者の土砂だしが永遠に出来ないこととなってしまうので、なんとかしなければということでオンザロードとの相談。それなら、土砂が積みやすい車をとりあえずその庭をお借りする形で入れさせてもらうようにしてその荷台に土砂を積んでどんどん集積所のほうに持っていくことにしようと。オンザロードのみおさんが軽のダンプを用意してくれましたが、結構時間がかかりそこまでいたるのが本当に大変でした。
普通なら許されることも、このときは被災者自身の神経がピリピリした状態にあることを如実に感じた活動となりました。
途中からは兵庫県の篠山高等学校から来た8名さんが合流。
お昼になり、他の方たちは皆さん食事を持参してきているということで、作業場周辺で食べるということに。一旦、本田さんと私は元井関ベース、このときの絆食堂へ戻りました。
お昼時、現地の方とお話できまして、そのとき被災直後の写真を見せてもらいましたが、改めてそのときの土砂流の凄さを感じました。
お昼を終えて、オンザロードのみおさんから本田さんに外しにくい板剥がしがあり、その依頼に本田さんは別のところで活動となりました。
また私は、オンザロードのかんじさんから活動すぐ近くの場所にある倒木があり、それを処理できないかという依頼を受けました。
那智勝浦の後、熊野市で流木処理のためにチェンソーを持ってきていたので、とりあえず住宅敷地内にある流木を処理することに。
本田さんは別のところへ、私はすぐ近くですが、オーダーを受けたお宅から出てしまうので責任者が抜けてしまうことが少し気にかかる部分もあり。一応、今いるメンバーの中からリーダーを決めさせていただいて、なにかあったら近くにいますのですぐ呼んでくださいということを告げて流木処理を開始しました。ただ、ガレキの上で重なっていて、そこでチェンソーをまわすことは危険と判断。幸い、ごみの分別作業をしていたボランティアがたくさんいたので、かんじさんに頼んで少しこちらに来て頂くようにしました。
一人では大変な瓦礫の中に埋もれた流木も皆さんの力で引き抜いてもらって、後はどんどん切りまくっていきます。
ある程度小分けにしたので、オーダーのお宅へ寄りました。
みなさん、がんばって作業されて、休憩を取っておられるのかが気になりました。
かねやまのようにペットボトル配りが来てくれるとありがたいのですが、さすがにかねやまより広くあちらこちらにオーダーをうけた場所が
散らばっている那智勝浦では、それも望めません。急いで井関サテライトに戻り、飲み物類を取りに行き、皆さんに休憩を取ってもらうことに。
活動再開後、参加者の中には思ったりより早く終了するように言われていたようで、あまり時間がないことが判明。時間だけは守らないと、他の方にも迷惑をかけるので、片づけを含めて時間前に終了させていただきました。
残念ながら、そのお宅を終了することは出来なかったのですが、来ていただいた方のことも考えねばならないので致し方なかったと思います。たった一日だけそのお宅のオーダーにかかわり、活動をしたのですが、今回は次々と難問が発生。ちょっとテンぱっちゃった部分はこれからの課題です。
ですが、前回の失敗はある程度挽回できたかなと。一日班長としてはある程度のことは出来たのではないかとちょっと自負しています。
井関サテライトに戻ると、まだ帰ってくる方は少なかったようです。
みおさんから本日の活動報告を上げてほしいということで書類に書き込み。
感想と災害ボランティアセンターへの要望、本日のオーダーが完了したのか、残っているならどの部分か等を書き込みました。
私の要望としては、もしある程度災害ボラ経験があるものが参加者の中にいたら、そうした方を出来ればバランスよく班の中に入れてほしいという要望をあげておきました。
時間が余ったので少し周りを見て回ることに。
15日に来たときより道路にある災害ごみは無くなってはいましたが、家屋の見た目の被害はあまり変わっていない気がします。
サテライトに戻ると本日の夕食の食材を青少年の家に運んでほしいとのこと。
そのときに本田さんも青少年の家に戻らないといけないらしく、運ぶ足となるのが私の車だけだったので、ミーティングに参加したかったのですが、戻ることに。でもその前に絆食堂へ。どうも夕食の下準備はこの絆食堂でしてそれをもって青少年の家に戻るらしいのです。
食事を用意していただいたともこさんと本田さんをのせて一路青少年の家に。
道中、本田さんがものすごい愛犬家ということを知り、びっくり。今いるタッチのほかに2匹飼っておられて顔を緩ましてお話なさったことは、こちらとしても気持ちがやわらかくなりました。
またともこさんも愛猫家で、みなでペットの話題で盛り上がりました。
ともこさんもふんわりした方で凄く和みました。
楽しい帰り道、一時間ほどでしたがあっというまに青少年の家につきました。
先に私たちだけで帰ってきてしまったため、今頃みんなはミーティングの真っ最中。
本来、チェンソーの本番を那智勝浦の翌日の予定していたため、明るいうちにチェンソーをメンテナンスを致しました。
7時半ごろ、メンバーの皆さんが帰ってきて、私もちょうどチェンソーのメンテナンスを終えて、夕食をとることに。
豪勢なものはないですが、メンバーが一生懸命用意していただいた食事にとても感謝しながらいただきました。
夜は青少年の家の山口さんによる星空解説会。ちょっと雲が多かったのが残念でしたが、もっと天気の良いときに今度はあわただしくない良好で山口さんのお話をぜひ聞いてみたいと思いました。でも災害現場で心をすり減らした分、山口さんのお話はとてもゆったりした気持ちに成れるものでした。木星を望遠鏡で見せてもらうことに。木星の月のような星を始めてみました。またみんなは木星の筋のようなものが見れたらしいのですが、視力が悪いとだめですね。
眼鏡をかけてみればよかったかなとちょっと後悔。雲が多く、消えたり出てきたり。きっと山口さんはとてもはらはらなさっていたかと思います。でもその心づくしは本当に感謝いたします!
その後はお風呂へ。お風呂の中ではぬるめの湯につかりながら安井さんといろいろとお話しました。一人で海岸を掃除していた話など、外見からは想像つかないような(^^;)とても繊細な方なんだなぁと。大阪の方ということもあるのでしょうか、すごくお話達者な方だったのもいままであまりじっくりお話しする機会がなかったので気がつきませんでした。なるほど、そのお話ぶりと繊細な部分の両方を持ち合わしているのだからこそ、那智勝浦の皆さんの心をつかむんでしょう。
風呂から出た後も津田さん、とおるさん、武さん、和助さん、せーちゃんたちと少しだけお話。
今回泊めてさせていただいたことのお礼をカンパと言う形で寄付させていただき、部屋に戻りました。
翌日は6時ごろ、熊野に向けて出発し、現地でチェンソー漬けの活動となります。
早めに床につきました。