「僕の記憶を記録する」
オープニングだからウィットに富みつつニヒルな出だしで行こう、と考えた風味で考えて文字に起こして見たものだが、これは中々恥ずかしい。
僕はナルシストとしてはかなり上位のカーストに鎮座する人材だと自負しているが、こういう物語チックというか、自分構って系というか、ハイスペックな言語使い気取りと言うか・・・、こういうのを放置して一週間ほどして見直した時に羞恥からメンタルが恐怖のズンドコに叩き込まれることは約束された未来予想図なので、このような形で一般公開に踏み切った次第である。
さて、さんざん言い訳したのでもう理論武装もパーペキだろう、もう一度言ってみよう、「僕の記憶を記録する」。よし初回よかイタくない。
さて話は変えるが、朝夜の混雑時に鉄道の改札口で引っかかった人間は、100%自分のせいなのになぜか人混みを八当たりしながらかき分け、JRに親の敵のような勢いで八当たる。これを合わせて一六当たりと言わない。
そんな人の揚げ足取りをアゲアゲで上げ連ねることはさておき、二度とない日々を幾千回重ねた中でその象徴の一つとも言える鉄道は僕にセンチメンタルな気持ちを喚起させる。それは繰り返しのなかで多くのものを忘れること。
「思ったこと」「感じたこと」は良いものでも忘却の檻から逃れられない。
幼い日、僕の休日は毎週、父に皇居に連れられ日が沈みかけるまでサイクリングに没頭していた。特に何か意味があったわけじゃあない。誰かに褒めてもらいたいわけでもない。ただ、何時間と走った爽快感と、帰ってから食べる母の手作りの料理は格別だった。それは今は無いものだ。
そんな思い出も今日思い出すまで完全に忘れていた。あんなに楽しかったのに、あんなに気持ち良かったのに。僕は自分の「忘れる」ということに恐怖した。
で、これが僕の短命な忘れない努力。「日々の記憶の記録」。
感想:…とりあえず閉めが堅い。