広島県尾道市の歯医者さいだ歯科医院の齊田健一です。
私が卒業した北海道医療大学にはいわゆる小・中学校にあるPTA組織に似た「北海道医療大学父兄後援会」という組織がある。お預かりした大事なお子様の勉学や困りごとの相談など御父兄と緊密な連携のもと学生生活が安心して送れるようにしていく趣旨で33~34年前にできた。当時は全国に沖縄、九州、中・四国、関西、関東、東北支部があった。その後北海道内に4支部が設置され現在全国10支部の組織になっている。
私はたまたま長男が在学していたこともあり立ち上げの時から中・四国支部長を拝命している。当時は薬学部と歯学部しかなく、東北は薬学部の1期生のM先生、歯学部1期生の私と他支部は学生のご父兄が担当されていた。
6月19日に全国支部長会議があり札幌に出張した。私は昭和53年に大学に入学したがその時は妻と3歳、1歳の二人の息子を連れて北海道に渡り、最初の2年間教養課程は釧路の近く音別町で学びその後札幌の隣町、当別町に引っ越した。7期生以後は教養課程も当別校舎となった。
この度の出張には家内を同伴し、家内は30年振りに当時仲良くしていたお友達と再会できて良かったようだ。
支部長会議では大学の現状や学生の国家試験結果、来年度の入学試験の日程さらには2028年に北広島市の日本ハムファイターズのエスコンフィールド横への移転の話などを聞いた。また毎年10月~11月にかけて各学部の先生方と事務局が全国の支部を周り、ご子弟の成績や生活状態、ご父兄の心配事などについて懇談する一大イベントの地区別懇談会についても説明を受けた。中・四国支部の懇談会は10月17日(土)と決まった。
学園経営にも少子高齢化の波が押し寄せていることを痛感した。会議後、懇親会があり理事長、学長、学部長をはじめ他学部の先生方や各支部の先生方といろいろ話ができた。
翌日、当別校舎を訪れホームカミングデーの行事に参加した。卒業生のご家族の同伴もOKということで家内を連れていく。昭和59年3月に卒業してから2回ほど大学を訪れたが懐かしかったと同時に多くの学部や学科が作られたことにより建物も多くなって道に迷いそうであった。
大学の現状を学長が話された後、YOSAKOI ソーランに出場したチーム「桜雅」の演舞が披露された。その後中央講義棟の10階に案内してもらい、広々とした畑などが一望できた。
その後学生食堂で学食をごちそうになる。メニューは前もって3種類の中から選んでメールにて知らせておいた。鶏のから揚げ・みそ汁・ご飯であった。
食後は各学部に分かれ実習室や講義室を案内してもらう。講義室では中央列一番前の右端が学生時代の私の定位置であったのでそこで学部長(14期生のI先生)のお話を聞いた。実習室はとても懐かしく指導医に小突かれながら頑張った記憶が甦った。
その後学内では大学祭「九十九祭」が開催されており見て廻る。この大学祭には父兄後援会の各支部がその地域の名産などを出品し、その地区出身の学生が来場者に販売している。中・四国支部は毎年島根県の名産「赤天」出品して、学生が赤天バーガーなどに加工して販売していた。
丁度、理事長も来ておられ、3期のF先生、4期のT先生と一緒に記念写真を撮って貰った。
午後3時前に会場を後に札幌市内のホテルに帰り、18時に同期のF先生ご夫妻と一緒に札幌駅前のビル内にあるお寿司やで食事をしながら懐かしい話に花が咲いた。
翌日10時過ぎにチェックアウトし新千歳空港に向かう。お土産を買い、クレジットカードで入れるラウンジが4階にあることを教えて貰い、そこでゆっくり飛行機の離着陸を見ながら過ごす。到着便が少し遅れたことより15分遅れて出発。途中本州上空は厚い雲でおおわれて雲以外何も見えず。広島空港着陸少し前に雲の間から地上が見えた。
ほぼ定時に広島空港に到着し、無事家に帰り着いた。













