福島原発事故でもめげずに頑張った一人の農家と助けた家畜の番組に



 我が猫爺も家畜を離しに廻った思い出を語ろうと思う。




 我が猫爺は、3.11の時に、

仙台から福島の浪江へ向かった。



 しかし、海岸線が通行禁止だったから裏通りを廻って何とかたどり着いた。



 それから山へ福島市へ向かって農家の牛や馬などの


家畜から自宅へ閉じ込められた犬猫達を離す活動を


 必死に続けて廻った。

何故か住民が誰も居ないのだ‼️


 そして、やがてガソリンが少なくなって来たので


 海岸へ向かった所で機動隊の懐かしい車両が目に入った。


 我が猫爺の車両は、当時ホンダのステップワゴンを


キャンピングカー仕立てにした車両だったから


ソーラーパネルが屋根に有って電源は大丈夫だった。


 しかし、ガソリンだけは予備タンクが残った。


 でも、何処のガソリンスタンドも誰も居ない。


 それもレジのお金だけを持ち去って人間が消えていた。


 見掛けた機動隊の車両もライトをパッシングして合図するも


一切、止まらずに福島原発方向へ向かっている。


 その後も機動隊車両が通過するが


何と内部の運転手から隊員が真っ白の上下作業服を着ていた。


 これは、原発事故と判断して危険を感じたけれどガスケツでは動けない。


 やむ無く愛犬のココと猫のチーちゃんと魚津で保護した


猫のピッチのアメショーと我が猫爺と一晩中浪江のコンビニ駐車場で過ごした。


 その間も何度も深度5以上の地震が何度か起きていた。


 翌日、ガソリンスタンドへ移動しガソリンを何とかいれようと頑張った。


 やっと、携帯電話で移動した福島県警と繋がって救助を頼んだ。


 次の夕方に、やっとパトカーが来て合図したら来てくれた。


 それで、事情を話しガソリンを貰って仙台へ向かった。


 途中で、放射線の洗浄するように言われたけれどしなかった。


 何処も浪江へ入るルートは、厳しい検問で交通規制で一切入れなかった。


 我が猫爺の車両だけが仙台方向へ向かっている。


 それから一旦、山形へ戻って……再度、福島市内側から


浪江へ向かった既に、通行禁止で入れなかった。


 それでも途中の農家の家畜を離して活動した。


 我が猫爺は、2000年の有珠山噴火被災動物の救護経験から


 家畜やペットを離して一時的にも救う活動をしていた。


 当時、野党だった民主党が政権交代を図り政権を握っていた。


 我が猫爺は、一番危険な場所で家畜やペットの放し飼いと離して活動していた。


 しかし、それらの家畜は全て捕獲されて処分された。


 何で、殺傷処分の必要が有ったのか我が猫爺は、未だに納得が行かない。


  価値観離しの活動で我がステップワゴンもボロボロに成ったね!