「障害」という尺度と見えにくさ | さいたまロービジョンズコーナー

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中途視覚障害による
『見えにくさ』との
組んずほぐれつの
日々の断片を綴っています。

開設日:2024年4月1日

*ガイド--ここより本文です(記事開始)

前回は、
「障害者」の定義が
内包している曖昧な一面
について記しましたが、

今回は、
前回から引き続きのテーマを
「視覚の障害」の第2話目として
お届けしたいと思います(にっこり)

さて、
前回の繰り返しにはなりますが、
見えにくい人
 =障害のある人なのでしょうか?

自分自身の
「見えにくさ」については、
以前の記事で
少しばかり綴らせていただきました。
(リンク情報参照)

自分の場合は、
カップラーメンを作るのにさえ
多々不自由を感じている状態なので、
「障害のある人」なのだということについては
何の異論も反論もありません。

とは言え、
現在はこんな自分でも、
当初は
そのような認識ではありませんでした(驚)

元来「見えにくさ」というものは、
主観的なものなのだと思います。

なので、
たとえ周囲の人たちが、
どれほど
「異常はない」とか「気のせいだ」と
言い募っていたとしても、
自分自身が
「見えにくい」と感じるのであれば、
そこには
「見えにくさ」は在ると
言ってよいのでは?・・と考えています。

結局のところ、
何がどのくらい
見えにくいのかということは、
本人にしか
理解することも把握することも
難しいのだろうと感じています(悲哀)

ということになると、
日常生活や社会生活に
どれくらい支障を及ぼしているのか
あるいはまた、及ぼしていないのか
ということが、
「見えにくさ」そのものの
尺度であるかのように、
受け止められがちになっているのも、
無理のないことなのかもしれませんね(納得)

当たり前の話ですが、
たとえ「見えにくさ」を感じていたとしても、
それで支障を感じるか否かは
本人の意識や取り巻く環境によって
大きく異なるだろうと思います。

眼鏡やコンタクトレンズの装用で
支障なく生活出来ている場合には、
それらを常用することによる煩わしさ
あるいは
その経済的な負担を感じることはあっても、
自分自身のことを
「障害のある人」だと
感じることは少ないでしょう。

強い「見えにくさ」があり
生活に大きく支障を感じている場合でも、
短期間での回復が期待出来る場合には、
自分自身の状態を一時的なものだと捉えて
「障害のある人」だとは考えもしないでしょう。

そして、
回復するまでに
長い期間が必要となってしまった場合、
または
先々の回復を見込むこと自体が
難しくなってしまった場合に限り、
「障害のある人」なのだということ
あるいは
これから先、「障害のある人」に
なってしまうかもしれない・・ということを、
初めて実感するのだと思います(愕然)

そのほかにも、
色覚や視力の不全から来る
「見えにくさ」を感じてはいても、
自分では
気付くことも伝えることも出来ない
幼い子供たちの場合には、
そもそも
「障害のある人」なのだということを
意識することも難しいでしょう。

また、
加齢による多様な症状の一つとして、
治療を受けることや対処することを、
実質的には諦めざる負えない
高齢者さんの場合でも、
「見えにくさ」が
老化の一環として扱われてしまう事で、
「障害のある人」だと意識することを
難しくしてしまっているケースは
あるのだろうと感じています。

あくまでも個人的な見解ですが、
「見えにくさ」が、
程度の差こそあれ、
生活の全般に渡って支障を及ぼし
何らかの対処を必要とする点を以て、
見えにくい人
 =障害のある人と
言ってよいのではないだろうかと、
今のところ思っています。

ただし、
ここで言っている「障害のある人」と
社会的に庇護すべき、
支援すべき対象となっている「障害者」とは、
同一のものではないということを
明確にしておきたいと思います(重要)

「障害のある人」は、
社会的な「障害者」よりも
広い意味を持っているものとして、
位置付けています。
本人が気付いていない場合も含めて、
「見えにくさ」を抱えた人全般を含めた
集まりだという解釈です。

「障害のある人」には、
自身の「障害」に
ほぼ問題を感じていない人もいれば、
自身の「障害」を
受け入れる事が困難だと感じていて、
苦しんでいる人もいるでしょう。
そして、
自身が「障害のある人」だということに
気が付かずに生活している人もいるでしょう。

「障害のある人」の
対象となる範囲が広ければ広いほど、
「見えにくさ」による影響の大小もまた、
幅広いものとなるのは
自然なことだろうと思います。

「見えにくさ」は、
ある程度進行すると、
それまでの生活を維持していく事は
難しいと感じさせるようになります。
そして限界に達すると、
ある日突然に
「もう無理だ」という感情を呼び起こします。
ここで言う「突然」は、
症状の急激な進行を意味している訳ではなく、
表面張力でギリギリ耐えていた
コップのその表面に、
最後のひと滴が落ちたことを意味しています。

こういったタイミングで、
福祉の制度や各種のサービスに
速やかにアクセス出来ることが
最も望まれる対処なのだとは思いますが、
その為に必要な環境の整備や情報の提供は、
今現在も充分ではないように感じられます。

次回以降は、
今回の内容も踏まえて、
福祉の制度やサービスについても
触れていきたいと思います。

今回も、
最後までお付き合いいただき、
ありがとうございます。

次回もぜひ、
お立ち寄りください。

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初回掲載日 2024/06/21
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