11月の終わり頃、郵便局の前で大々的に貼られている年賀状のポスターを歩きながらチラッと見る。
来年の干支を目で確認し、年末が近づいていることに気づく。
歳を重ねるたびに時間が過ぎるのが早く感じるようになったかもしれない。
歳を重ねるたびに時間が過ぎるのが早く感じるようになったかもしれない。
クリスマス頃までには書こうと決めていた年賀状。
元旦に届いている方が美しいかなと思って、12月26日までに出そうと思っていたのに、知らないうちに26日は過ぎ去っていた。
結局、仕事やら掃除やら忘年会やらで年賀状を書くタイミングを逃してしまったが「職場の人には31日までに書いて送らないと、さすがにマズいかも・・・」と思い、重い腰を無理矢理あげて書き上げた。
元旦に届いている方が美しいかなと思って、12月26日までに出そうと思っていたのに、知らないうちに26日は過ぎ去っていた。
結局、仕事やら掃除やら忘年会やらで年賀状を書くタイミングを逃してしまったが「職場の人には31日までに書いて送らないと、さすがにマズいかも・・・」と思い、重い腰を無理矢理あげて書き上げた。
どうしようもないくらい面倒くさいと思いながらも、年賀状を書く私は本当に根が真面目な人間なんだろうなと思った。
何でこんなにも焦って、バカみたいに年賀状なんか書いているのだろう。
年賀状を書く意味を改めて考えてみた。
会社から送る年賀状も建前のようなものだよね。
ダイレクトメールとかで送られてくるどこかの会社の新年の挨拶状のような類とか。通常業務の合間を縫ってまで年賀状を送ることは、これまで同様に友好なビジネス関係を保っていくためでしょ。
ダイレクトメールとかで送られてくるどこかの会社の新年の挨拶状のような類とか。通常業務の合間を縫ってまで年賀状を送ることは、これまで同様に友好なビジネス関係を保っていくためでしょ。
ただ、これが年賀はがきで送られると少し嬉しいかもしれない。
あくまでも私の場合の話である。
ダイレクトメールが送られてきたら大概は捨ててしまう。でも、はがきが送られてくると捨てがたいし、それに自分を気づかう一言メッセージが書いてあると送り主に多少でも好感を抱いてしまう。
自分が日ごろ感謝してお世話になっている人であれば年賀状をもらうと嬉しいし、書く時間がなくて面倒くさいと思ってもそういう人には送ったほうがいいと思う。
ダイレクトメールが送られてきたら大概は捨ててしまう。でも、はがきが送られてくると捨てがたいし、それに自分を気づかう一言メッセージが書いてあると送り主に多少でも好感を抱いてしまう。
自分が日ごろ感謝してお世話になっている人であれば年賀状をもらうと嬉しいし、書く時間がなくて面倒くさいと思ってもそういう人には送ったほうがいいと思う。
職場の上司や同僚に年賀状を書くのも、プライベートで仲が良い人を除けば、仕事仲間として良好な関係を続けていくために建前で行うことだろう。
最近は年賀状を書かなくなった人もちらほらいるみたいだけれど、お世話になった人には年賀状を送るというのが礼儀だと、いまだに世間では思われている気がする。
正直なところ、日々お世話になり心から感謝している人に対しての年賀状には、少しでも心のこもったメッセージを添えて送ろうとする。ただ、一部の上司や同僚に送るのに気が進まないというのは、時間がないからというだけの理由ではない。おそらく普段から抱くその人たちへの感情に左右されて、自分の貴重な時間をこの人たちに費やしたくないと思う潜在意識があるはず。
最近は年賀状を書かなくなった人もちらほらいるみたいだけれど、お世話になった人には年賀状を送るというのが礼儀だと、いまだに世間では思われている気がする。
正直なところ、日々お世話になり心から感謝している人に対しての年賀状には、少しでも心のこもったメッセージを添えて送ろうとする。ただ、一部の上司や同僚に送るのに気が進まないというのは、時間がないからというだけの理由ではない。おそらく普段から抱くその人たちへの感情に左右されて、自分の貴重な時間をこの人たちに費やしたくないと思う潜在意識があるはず。
思えば、いつのまにか学生の頃のクラスメートに年賀状を書くのも面倒だなあと思って書かなくなっていた。
冬休みが終わって新年になれば、いやでも顔を合わせるのがクラスメートだ。
職場の人も同じ。年賀状を書くことで、顔を合わせたくない人たちのことを1ミリでも思い出したくない。
それでも、年末は職場の人にはなるべく年賀状を書いた。
年賀状用の名簿まであるのだ。
冬休みが終わって新年になれば、いやでも顔を合わせるのがクラスメートだ。
職場の人も同じ。年賀状を書くことで、顔を合わせたくない人たちのことを1ミリでも思い出したくない。
それでも、年末は職場の人にはなるべく年賀状を書いた。
年賀状用の名簿まであるのだ。
こんな名簿があることこそ、職場の人には年賀状を書いて送らなければいけないことを暗に義務づけているようなもの。
年賀状、1枚52円。
52円を出してまで、仕事もロクにできない私のようなダメ人間に年賀状を送ることは価値がないと思われたかもしれない。
今年は送った人よりも届いた人の枚数が格段に少なかった。
送った人の3分の1ぐらいの人数しか年賀状が来なかった。
負け惜しみのように聞こえるかもしれないが、私の中では今回の年賀状は送ることに意義があると思っている。
52円を出してまで、仕事もロクにできない私のようなダメ人間に年賀状を送ることは価値がないと思われたかもしれない。
今年は送った人よりも届いた人の枚数が格段に少なかった。
送った人の3分の1ぐらいの人数しか年賀状が来なかった。
負け惜しみのように聞こえるかもしれないが、私の中では今回の年賀状は送ることに意義があると思っている。
この職場に何も貢献していないうちに去るには、後腐れがないように一応礼儀を尽くしておこうという私の最大限の配慮のつもり。
今年は、職場の人全員に年賀状を出した。
この1年に私の身に起こったことを考えながら、年賀状を書いたつもりだ。
昨年はまさか別の職場で働くことになると思わなかった。
それに私がライターとして働けるようになるとも思わなかった。
ライターになったからこそ、年賀状に書くメッセージは相手のことを考えながら一言一句こだわりたいと思うようになった。
年賀状をわざわざ手書きで書いて送って、後日送った相手から「コンビニとかに置いてある年賀状をそのまま買って、メッセージを書いて出すだけなんて手抜きだろ」「もっとメッセージを書け」など、自分の年賀状にダメ出しをされたら気分は良くない。
その送った相手からは、自分宛の年賀状は届かなかった。
わざわざ文句を言ってくるわりに年賀状をよこさないやつから、とやかく言われる筋合いはない。
「新年の挨拶」にかこつけて、年末に相手のことを考えながらメッセージを書くことは、わずかであっても人が人を思いやることができる有意義な時間であっただろうに。
現代人はこの時間を確保することができないくらい日々の生活に忙殺され、年の終わりですら自分の周りにいる人たちとの不思議な縁を考える時間すら十分に確保できない。
年賀状を作ることが面倒くさくなってしまうなら、人を思いやる余裕なんて生まれるわけがない。ちょっと話が飛躍しすぎたかな。
現代人はこの時間を確保することができないくらい日々の生活に忙殺され、年の終わりですら自分の周りにいる人たちとの不思議な縁を考える時間すら十分に確保できない。
年賀状を作ることが面倒くさくなってしまうなら、人を思いやる余裕なんて生まれるわけがない。ちょっと話が飛躍しすぎたかな。
いや、でも誰かにこの話をしたら「それ、一理あるよ」って言われるかもしれない。
社会人になって仕事をしていると、いつのまにか目の前にある業務をこなすことに精一杯なってしまっているから。
本当に大切なことはそれだけではないはずだと思いたいけど、目の前にあるやってもやっても減らない仕事に毎日取り組んでいたらそんなことを考える隙がない。
お世話になった人に感謝する時間が大切だって思うなら、自分からその時間を作っていくしかない。
歳をとればとるほど、やらないといけないことや考えないといけないことが増える。
社会人になって仕事をしていると、いつのまにか目の前にある業務をこなすことに精一杯なってしまっているから。
本当に大切なことはそれだけではないはずだと思いたいけど、目の前にあるやってもやっても減らない仕事に毎日取り組んでいたらそんなことを考える隙がない。
お世話になった人に感謝する時間が大切だって思うなら、自分からその時間を作っていくしかない。
歳をとればとるほど、やらないといけないことや考えないといけないことが増える。
生きづらさが増していくのは気が滅入るからマジで勘弁してほしいけれど、それが現実なんだと最近思い知った。
年賀状を出さないといけない義務感ばかりが押しつけられるが、年末年始に年賀状を送る意味から考え直したほうが、今よりももっと気軽に年賀状を送りやすくなるかもしれない。