JAN AKKERMAN  1997

 

 

 

 

3月30日(土)

山はやめて多気に近い伊勢本街道を歩きます。

落語で有名な七度狐の森に来ました。

 

 

 

やられたら倍返しどころか七度やり返すと言う執念深いキツネ。

『七度狐』の立て札がこのあたりにあるとの情報を見たのですが・・・。

 

 

 

なくなっているようです。

看板がなければタダの森。

 

 

 

「こらっ!、オンドレ。誰に断ってここへ車止めとるんじゃ!」

「スンマセンスンマセン、ちょっとだけと思て」

「ワレの車の排気ガスでうちの牛が肺炎になって死んでしもたらどうするんじゃ!、よーコラ」

「すんません、堪忍してください。ほんの出来心で」

「出来心で済んだら警察は要らんのじゃ!、落とし前つけたれや!」

「ひいい、悪うございました。このとおりこのとおり」

 

 

 

はっ、誰もおらん。

・・・やられた。

 

 

 

まあ麦畑を泳がされるよりはいいでしょう。

次は伊勢本宮にもうすぐの地にある田丸城址とその周辺を歩きます。

役場の駐車場が無料でありがたい。

 

 

 

静態保存の機関車と中学校。

いや、中学校は動態保存。

 

 

 

南北朝時代の延元元年(1336年)に、北畠親房が南朝側の拠点として砦を築いたのがこのお城の始まり。

天正時代に伊勢に侵攻した織田氏が北畠氏の名跡を奪い、城主となった織田信雄によって天守閣を持つ立派なお城に。

その後一度火事で焼失しますが、紀州徳川家の領地となってからは家老の久野氏が城主となり、ご維新を迎えます。

 

 

 

明治に廃城となりますが、昭和3年に地元の士族出身で朝日新聞の創始者である村山龍平氏の篤志で町の所有となり、現在は城山公園として整備され町のシンボルです。

 

 

 

平山城なので眺望はこんなもの。

白猪山、堀坂山、観音山などの松阪の山。

 

 

 

野球部の朝練を聞きながら城跡を周回します。

 

 

 

これはキツネではありません。

 

 

 

アヒルは人慣れしています。

まるまるとうまそう。

 

 

 

JR参宮線田丸駅。

汽車は出たばかり。

ふらふらと乗りたくなります。

 

 

 

いいですね。

古いものが残っているのは。

 

 

 

 

 

そのあと河童のいる「かざはやの里」へ行きましたが藤も紫陽花も咲いていないので割愛。

 

 

 

伊賀上野で荒木又右エ門生誕の地を見つけました。

鍵屋の辻は行かない。

 

 

 

味神館の五目麺についても割愛です。

 

 

 

「なんで山行かなかったの?」

「前の日がどしゃぶりやったやろ、前の日にトカゲを見たやろ、喉がずっと調子悪い、膝もよろしくない」

「四の五の言って行かんかったわけやな」

「もう若くないのや、ほどほどにするのが分別やな」

 

 

 

 

 

帰る鴨見送る家鴨お堀端

 

はからずも菜の花となる草の中

 

ここまでと挿む栞のすみれ草

 

 

おそまつさまでございました。