先日たびしたイギリスのセブンシスターズの白い崖は、前の記事でも書いたようにやっぱり圧巻だった。
セブンシスターズナショナルパークという自然公園の中にある白い崖にたどり着くのはなかなか大変。
ロンドンのVictoria駅からEursbourneという港町まで電車で1時間30分くらい(うーん、世田谷から江の島くらいかな)ゆられて、さらにEastnourneからローカルなバスで20分くらい。
Eastnourneは結構活気があって、カモメがそこいらを飛んでいるいい港町。
けれどもバスにのって少し町を離れた瞬間、窓の外にはのどかな田舎の風景がひろが
細い道に、林、羊、そして、海。
そしてSevensistersnにつくと、目の前に広大な平原がとつぜん開ける。
地平線が見えるなんて、東京やパリではなかなかない。
その地平線まで続く緑の広がりの中を、白い羊の群れが走っている。
ロンドンから2時間ばかりとは思えないような光景。
そんな平原の中を歩いて歩いて、歩いて。。。あれ?まだ?
って思うくらい歩いて、登って、牛の群れの中をとおって。。。
本当に白い崖なんてこの先にあるのかな、まったく!っと思い始めたとき、
ふっと
目の前に突然白い崖が見えた。

。。。。というところまでは前回の記事で書いたので、今回はなんでここまで白い崖がみたかったか、ということについてちょっと掘り下げたい。
私は小学生の時、萩尾望都の『トーマの心臓』を読んでから、彼女の作品の大ファン!
『半神』や『君は美しい瞳』なんていう短編を読んだときは、小学生ながらも「すごすぎるうううう!!!!こんな数ページでどうしてかよく分からないけど、ここまで人を感動させることができるなんて!」と、ベッドの上でジタバタしたものだった。
そのファンっぷりは結局高校まで続いて、高校の卒業論文は『トーマの心臓』をテーマに『萩尾望都研究』を書いた。その内容についてはまたいずれ別の記事にて。。。
とにかく、その時に彼女の『残酷な神が支配する』という作品に出合った。
この作品は長編で、ものすごおおおおく色んなところを省いて簡単に内容を説明すると、義父グレッグに性的な虐待を受けた少年ジェルミが、その報復のために義父を事故死させようとしたところ、あやまって自分の母親(グレッグと再婚していた)まで殺してしまい、失意と混乱と怒りと悲しみの中に落ちる。
そんなジェルミの義兄イアン(グレッグの実の息子)が長い道のりと混乱を経て、癒してゆく。。。
というようなそんなお話です。

その中で登場するのが、まさにイギリスの白い崖。
ジェルミとイアンは、二人で自転車の旅をする。地平線まで広がる平原の中を、二人で走っていると、イアンがいいます。
「ほら!走ってこい!ブレーキなんてかけるな。転んでも草原だ、痛くなんてない!」
そんな言葉に光をみたジェルミは、けれども次の瞬間こう叫びます。
「うそだ!平原なんてない!崖だ!まっさかさまだ!」
このシーンは作品の中盤くらいで出てくるのですが、最終巻でも、もう一度でてきます。
自分の罪の告白をイアンにして、「人殺しでも愛せるだろうか?愛することを試みてもいいだろうか?」と問いかけるジェルミ。
その時、ジェルミは言います。
「楽しみなんだ。また、イアンとあの白い崖に帰ってゆくのが、楽しみなんだ」
そのシーンはなんだかとてもきれいで、浄化されていて、きっと、それがそのまま私の中の「白い崖」のイメージになったんだと思う。
だから私にとってこの白い崖にいったときに気持ちは、きっと、巡礼者がずっと心に抱いていた憧れの地にいった時の気持ちと似ていたと思う。
夢が現実になったという喜び。そして、その現実をみてしまったという淡い失望。
でも、その一度その場から離れると、あの白い崖の光景はまた私の中で昇華されて、再び、前とは違う形の憧れとなって記憶される。。。。
私は別に特に信じている宗教なんてないけれど、なんだか、そんな気持ちが少しわかった気がした。