こんにちは、Sah-chang です。

今回は瞑想について書いていきますが、瞑想と言うと、多くの人はお寺に行って座禅を組んで、目を閉じている姿をイメージするのではないでしょうか。

瞑想の仕方も宗教・宗派によって異なり、例えば、臨済宗は、疑問を抱きつつ坐禅することにより悟りに至る看話禅の立場を採り、これに対し、曹洞宗は何かの目的のための手段として坐るのではなく、坐禅そのものが目的であり、坐ること自体に集中する黙照禅の立場、と言うように全く異なります。

それじゃ、瞑想とは本来何なのという疑問が起きますよね。

Wikipedia によると

瞑想“Meditation” という言葉はラテン語: meditatio に由来している。ローマ時代の meditatio は「精神的および身体的な訓練・練習」全般を意味していた。

瞑想(めいそう、Meditation、メディテーション )とは、何かに心を集中させること。この呼称は、単に心身の静寂を取り戻すために行うような比較的日常的なものから、絶対者(神)をありありと体感したり、究極の智慧を得るようなものまで、広い範囲に用いられる。

こんなことを頭に入れておいた上で、私が実践している瞑想法について見て下さい。


A.どこでも、電車の中でも出来る瞑想
 ①一点集中の瞑想:
  電車の中ならば、広告文の中の一文字、あるいは止め金具のねじの頭など、何でも良いので一つ決めたものを見続けると言う行為だけに脳を使う。
  あまりに簡単なことなので、つい退屈して他に目移りしそうになりますが、それをしないで一点だけを見続ける訓練(瞑想)です。
  この瞑想中は一点を見るだけで考える必要がないので、脳の活動は低下し、脳はエネルギーを蓄えることが出来ます。集中力が高まります。

 ②深呼吸の瞑想:
  深呼吸するとき「大きく息を吸って、吐き出します」と言われませんでしたか。
  呼は「大声を出す」とか「吐き出す」という意味です。呼吸の吸は呼の後です。
  正しい深呼吸は先ず、肺の中のものをすっかり吐き出して、それから空気を吸い込むのです。そうでないと、せっかく吸い込んだ空気中の酸素濃度は、肺に残っていた気体で薄められてしまいます。

  なので、正しい深呼吸の方法は、「肺をすっかり空にして空気を吸い込む、空にして吸い込む」これを続けることです。

 肺を空にしたら喉を絞めて息を止め、お腹の力を抜くと、お腹がへこみます。喉を開いてやると、空気を吸おうとしなくても自然に吸い込まれお腹が膨らみます。複式呼吸になりますね。

 次に、空気が鼻を通り、喉、気管、気管支を通って、毛細血管に覆われた肺胞に入り、空気中の酸素が毛細血管から吸収されて運ばれ、心臓から送り出された血液によって、体中の細胞に酸素が配られ、酸素を受け取った細胞が生き生きしていくのをイメージします。このイメージをしながら深呼吸をするのです。

 この深呼吸を5分くらい続けると、今まで十分に酸素が届かなかった足の指先、手の指先がジーンと温かく感じられてくるでしょう。
 寒さでかじかんだ手を急に暖かいお湯につけた時、しびれたようになる感覚と似ていますね。

 これは指先の細胞が十分な酸素を受け取って活性化したことを示しています。特に、酸素の消費量が多い脳細胞にとって十分な酸素はその活動効率を高めます。

 ということで、この一点集中の瞑想と、深呼吸の瞑想は脳を活性化するのに非常に有効ですから、学校で授業の始まる前にやると学業効率が良くなると思いますよ。


B.発声の瞑想
  発声の瞑想はいくつかありますが、発する音によって身体に与える影響が異なります。例えば、「エ」という音を発すると免疫力をたかめ、「オ」という音を発すると安らぎ感をあたえ、「イ」という音を発すると身体にエネルギーを高揚させます。
  発声の瞑想の中で私が好きな瞑想はこの「エ」「オ」「イ」の発声瞑想です。
  これを滑らかに連続して、エ~オ~イ~と発声し繰り返して行います。発声しているうちに身体に変化が起こってくるのを感じられるでしょう。

  私の場合、頭の頭皮にしびれのような感じが起こり、背中からエネルギーが上がって来る感じで汗が出てきます。
 発声を突然止めて、発声していた時と止めた時のコントラスト、その違いを楽しむんです。
  体中にエネルギーが漲っている感じが得られるでしょう。


C.つながりを意識する瞑想
  身体を構成している細胞たちをお互い同士繋ぎ合わせ、更に身体を構成する全ての細胞を意識することによって、精神と肉体を連結し一体化し、調和する訓練(瞑想)です。

  楽な姿勢で横たわり、両手は身体に沿って伸ばし、手の平を上にします。
  十分深呼吸をすると手足の指先にジ~ンと温かいものを感じ始めます。
  足の指先の細胞を意識し、その温かいものが周りの細胞に広がっていくのを意識します。足の裏全体に広がった温かいものが、足の甲に、くるぶしを通ってふくらはぎへ、ひざ、もも、足の付け根と上がってきます。
  会陰から性器へ、更に上に上がってお腹、胃の後ろ背中側の太陽神経層のところで、その温かいものが光り輝いているのをイメージします。

 (註:太陽神経叢は、自律神経のカタマリで、おなかの上のほうの「ミゾオチ」と呼ばれるところにあり、形が太陽に似ている(本物の太陽というより、周りにたくさんの光線が伸びている、絵に描いた『お日さま』みたいな感じ)ことから、そう呼ばれる。)

  次に手の指先の細胞を意識し、その暖かいものが手の平から手の甲、ひじ、二の腕、肩、脇の下、肺を通って太陽神経叢で輝く温かいものと合流します。そして上へ、肺、心臓、首、喉、唇、鼻、額を通って頭の天辺に。

 次に、額の中央を意識します。それが右に動いてこめかみ、右の耳を通って後頭部へ、更に左へ動いて左の耳、左のこめかみ、元の額へ、この輪を内側に内側にと渦巻きを作るように脳の周りを回って、脳の中心まで達します。
 この脳が「私はここにいる」と意識できる精神の源です。
 これによって、体中の細胞と精神が繋がり一つになり、脳からの指示が体の細胞に素早く伝わり、心地よく調和するのです。

 この「つながりによって一体化し調和することを意識する」瞑想は、他の色々なことと繋がることに応用できます。

 私は人類という大きな存在を構成する多くの人々の中の一部として、人類に繋がっていることを意識します。なので、人類が平和でなければ私も平和ではいられなくなります。
 このような意識を持つ人が一人でも多くなることを、願わずにはいられません。

 私達は植物や動物を食べて維持されています。
 植物は地球の土からの元素と動物の吐き出す炭酸ガスから成り立っています。
 動物はその植物や動物を食べて成り立ち、地球の元素や他の生物から成り立っています。
 結局、植物も動物も生物は皆互いに結びついて一つのものであることを意識します。
 生き物を大切にすることは、自分自身を大切にすることだと分かります。 

  私達人間も含めて、全ての地球上の生物は地球の元素から成り立ち、全ての生物は地球と結びついて一つのものであると意識します。
 
  その地球は、無限の過去から無限の宇宙に存在している塵が集まり惑星になったもので、太陽の周りを回り、太陽は銀河系の中心を回る銀河の一部であり、その銀河も数え切れないほど有る銀河で構成されている無限の宇宙の一部です。

 そして、地球と一つである私達も無限の宇宙の一部であり、意識を持った無限の一部を担っている存在という、無限とのつながりを意識することが出来ます。

 生は無限の過去から存在する地球の元素から構成された存在であり、死はまた地球の元素に戻り、元素として植物の一部となり、それを食べる動物の一部になり、生と死の繰りしを通して、元素として無限に存在していくことを意識することが出来ます。
 死に対する恐れは無くなり、生に対する慈しみの心が育つでしょう。

 そして、地球の元素にすぎない私に、意識を与えて下さった創造者宇宙人エロヒムに対する感謝と畏敬の思いが湧き上がります。 

 「つながりを意識する瞑想」をマスターすることによって、究極の安らぎ、悟りを得ることになるでしょう。

 この瞑想は「ハーモニーメディテーション」(ラエル著、無限堂出版)の「第一の瞑想」で詳しく知ることが出来ます。
また、この本は無料の電子ブックを下記からダウンロードすることも出来ます。
  http://ja.rael.org/download.php?list.11

 瞑想指導CD「ハーモニーメディテーションNo1.No2」は下記の無限堂出版や      
   http://mugendo.co.jp/

ラエリアン・ムーブメントが開催する各地区のイベント会場で購入することが出来ます。
  http://203.137.92.117:8080/jrmevent/chikulist.jsp


 今日は少し長くなりましたが「瞑想について」はいかがでしたでしょうか。

 先ずは、「どこでも出来る瞑想」から始めてみてください。


 瞑想は「訓練」が語源の通り、訓練を続けることで成果が見られるというものです。

一二度やって効果がないと諦めてしまわず、続けることによって美味を味わえることになるということを忘れないで下さいね。

 「継続は力」です。


それでは、この辺で、

また、お会いしましょう。