江戸時代、相撲は見世物興行として始まり、勝ち進んで番付上位を目指すだけではなく、時には人情負けをして、相手を助けることもあったようですね。

母親が病気で経済的に苦しい十両に横綱が人情負けをし、観客はそれを知っていて拍手喝采して、土俵はご祝儀で溢れ、ソノ十両は親孝行が出来たということもあったようです。

力士になった以上、勝ち進んで番付上位を取りたいと精進して真剣勝負をすることが当然のことでしょうが、一つでも白星を挙げて上に行きたい気持ちを抑えてでも、人情負けをして相手を助けたいと言う気持ちが出ることもある義理人情の世界であることも、相撲界の特色ではないでしょうか。そして、義理人情の世界は日本の伝統的特色であり、相撲を伝統文化の国技だというなら、相撲に義理人情が絡むことも容認するのが筋でしょう。

だから、石原都知事が言うように、相撲は八百長(無気力相撲、人情相撲など)が有るものとして楽しんだら良いんじゃないでしょうか。

いつから、誰が、相撲はフェアプレー重視の近代スポーツであるかのように考えるようになったんですかね。

相撲は親方弟子の関係の徒弟制度で成り立っている前近代的な義理人情の世界であるにも係わらず、近代的なフェアプレーのスポーツであるかのような目線で見ること自体、無理があるんでしょう。

理事会も、相撲は近代的なスポーツではありませんと、公言したら良いのに、フェアスポーツであるというポーズをとるから、いつまで経っても問題視されてしまうのでしょう。

理事会は一大決断をして、一日も早く、場所開催が実現することを望みます。



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