異性に興味を持ったのは小学校1年生の頃。可愛い子を挟んで同級生と決闘?をして、ライバルの相手のお腹を一撃して担任にひどく叱られたのでした。その女の子と中学の頃再会して、昔のイメージとあまりに違うので、急に憧れの熱が冷めてお終いに。

 

中学になり同級や下級の可愛い子に憧れはしたものの、一方的な憧れで終わりました。

 

高校は受験校であったため恋だの愛だのということとはほとんど関係なく過ごしました。クラブ活動で可愛いなと思った子はいたものの、何事もなく終わりました。

 

六大学の一つに入るも、当時は学園紛争で、授業にはほとんど出ないで図書館で好きな本を読んで過ごしましたが、なぜか、無事に卒業式できました。

大学4年の時、卒論を書く目的で伊豆の湯ヶ島の寺に滞在していた時に出会った女高生に一目惚れし、文通が始まり、東京に戻ってから新宿御苑で初デートしました。その後、彼女は北海道の女子大に寄宿し、手紙のやりとりはあったものの、自然に交際は消滅しました。こちらは社会人で向こうは大学生で、世界が違いすぎて切れてしまったのでしょう。

 

社会人になると、見るもの聞くもの新鮮で、浮ついた気持ちで職場の2、3人とデートしたりしましたが、すぐに飽きて終わりました。

 

そんな中、妻が現れました。はじめの出会いに記憶はないのですが、向こうに気に入られて、やや打算の気持ちが働いて結婚しました。当時のわたしは童貞でした。妻の実家は裕福な商家でした。

 

結婚はしたものの、婿入りしたような気持ちが去らず、胸にたまる不満がいつも去らず、会社が終わると、家にまっすぐに帰らず、週末はほとんどスナックや居酒屋のママに入れこんで通い続けました。ママ達とはそれだけの関係で過ぎました。

 

50歳を過ぎる頃、中高年は、一部の人間を除いて閑職に追いやられ、気分はいつ辞めてもいいという、感じになりました。やがて定年を迎え、気がつけば60歳になっていました。

 

定年になり家にこもるようになると、あらためて妻との関係が問題になりました。妻は私を鬱陶しく思うようになり、私は妻を小うるさい存在と思うようになりました。だんだん関係が薄まり、家庭内別居という状態になりました。それぞれが別個の人生を作っていたことに気づきました。

考えてみれば、もうこの歳になったら、それぞれの生活、価値観が出来上がっていたのです。期せずして双方から別れの話になりました。

 

一人になっても、今後とも出会いを大切にしたいと願っています。それぞれがそれぞれの距離でお付き合いして、会いたいときに会って、語り合うという相手ができればと。その間に恋愛感情が芽生えれば願っても無いことです。日常的に縛り合う関係ではなく、好きな時に好きなように会って、お互いの関係を深め、楽しむという粋な関係が作れればと思っています。