週刊今川氏真詠草&おんな城主直虎の不都合な真実 Vol.25 5月10日号
(2020/04/30-05/10)


一週間空いてしまいましたが、今宵も『おんな城主直虎』第24話「さよならだけが人生か」のお話をば。


前回龍雲丸が雲のジュウザみたいなことを言って出て行っちゃったので、直虎ががっかりしてます。


政次からは、「買いかぶり過ぎでは?」という冷めた言葉をかけられますが、直虎は龍雲丸たちが自由に生きられるのは、自力で生きていくスキルがあるからだと気づいて、龍潭寺で読み書き以外にも薬学や護身まで教えるようにします。


まあ、これも例によって脚本森下さんの創作ですね。この頃も直虎周辺では動きがないので、諸葛孔明の空城の計ばりの苦闘が続きます。


この後、今川家が武田家に対する塩留を始めたと聞いて、瀬戸方久が密輸チャンスと喜んでます。


今川氏真が、武田との国境で荷物を差し押さえた家臣に感状を出してるので、今回は、永禄十年(1567)夏ごろだと分かります。


これは、武田信玄が廃嫡して幽閉していた嫡男義信を処断する意向を固めたのを察知して、氏真が経済制裁で牽制しようとしたようです。


永禄十年八月、信玄は重臣たちから自分に忠誠を誓わせる起請文を集めて生島足島神社に奉納しています。これは、氏真には、信玄が、いよいよ義信の命を奪う決意を固めたように見えたかも知れません。


義信は、氏真にとっては妹嶺松院の夫、義弟で、今川との同盟を破棄しようとする信玄と対立していたと考えられています。


氏真は、塩留によって信玄の再考を期待したのでしょう。氏真の舅北条氏康も氏真に同調します。


しかし、結局義信は同年十月に死去します。


さて、永禄十年(1567)といえば、五月から七月まで、連歌師里村紹巴が富士見の名目で駿府を訪れ、氏真や、駿府下向中の公家や僧侶などとの交流を、『富士見旅記』に記しました。


里村紹巴は文化人っぽい文化人ではなく心身共に大剛の人と評される野心家で、身分に関わりなく貴顕の人々に加わることが出来る、という理由で連歌師になり、天下の宗匠と呼ばれるほどになりました。


紹巴は連歌を深くたしなんだ三好長慶に引き立てられました。その死後信長が上洛してくると、信長の明智光秀や羽柴秀吉ら織田家重臣に接近し、盛んに連歌を行いました。しかし、上洛後の信長から連歌会に呼ばれたことはなかったようです。


後に本能寺の変直前に明智光秀が興行した愛宕百韻にも参加しており、変後安土城を接収して上洛する途中の光秀を吉田兼見と共に吉田神社で出迎えして、夕食の相伴に与っています。


紹巴が本能寺の変の共謀者とは言えないかも知れませんが、光秀の協力者であったことは確実です。


今川領内で、信長や本能寺の変に直虎をつなげそうな人物ですので、『おんな城主直虎』放映前に、このブログで直虎を面白くする人物として紹巴を挙げました。


里村紹巴は今年の『麒麟がくる』でも要チェックですよ(^^)


以上里村紹巴に関する閑話休題。政次が駿府に呼ばれ、新野家の三女桜と、庵原家の縁談を持ちかけられます。直虎は駿府から戻った政次と南渓和尚の部屋で囲碁をしていてその話を聞きます。


これから直虎と政次の囲碁は印象深いシーンになります。


放映前に囲碁がドラマのキーアイテムになると聞いて、それがしは


「はぁ!?」


とだけ思ったのですが、見くびってました(^_^)ゞ


岡崎では初登場の信長が家康を問い詰めるようにして子供同士の縁談を進めています。市川海老蔵さんの信長なので「AB長」とか呼ばれてましたね。


ゲームやアニメから出てきたようなマントの信長、それがしは初めて見た時、「どういうこと?」と思いました。


今振り返って考えると、魔王風信長も、視聴者がドラマを史実と混同しないためのファンタジー大河風演出だったように思われます。しかしファンタジー大河風演出でも、『おんな城主直虎』森下脚本は史実をよく検討してドラマを作り上げていたと思います。


AB長は、家康が無断で信玄と手を組もうとしているのではないか、と問い詰めます。酒井忠次は信長と家康は兄弟同然と言いますが、信長は、自分は実の弟も斬った、二度とそんなことはしたくない、と切り返し、家康の言い訳も聞かずに立ち去ります。


猜疑心が強く、威圧的な信長はありがちだな、と思いましたが、家康と敵対したくない、という言葉は単なる皮肉ではなく、真情がこもっているように感じました。


この信長も、振り返って見ると、同じ人物の二面性を描く森下脚本ならではの人物造形だと思います。


今回は、築山殿も登場。久々に訪れたらしい家康に膝枕したり、耳をつねったりで、通俗的イメージよりも、仲のよい二人です。


家康もリラックスしつつ、色々愚痴をこぼします。どうやらこの「豆狸」家康、三河一国だけでいいとか、今川はのどかだった、とか思っているようです。


「豆狸」家康が遠江を狙うのは、信長の意向や、栄達のために領土拡大を求める家臣たちの圧力だそうです。なかなか面白いです。


信長は翌年足利義昭を報じて上洛します。信長はすでに養女を信玄の四男勝頼に嫁がせて信玄と同盟関係にありましたが、今川領を餌として、甲斐の虎の牙を南に向けさせたことになります。


家康と家中の関係も江戸時代に神君への忠義が強調されましたが、三河時代の家康ははまだ若くて突出した存在ではなく、一向一揆で家中の分断を招くなど、権力基盤は盤石とはいえませんでした。


『おんな城主直虎』は、「豆狸」家康と徳川家臣たちの挫折と成長の物語としても面白かったですねえ。


愚痴をこぼしていた家康ですが、築山殿から駿河には豆狸に入ってほしいと言われて元気になります。築山殿の許で一晩過ごすと思いきや、家康は去る。築山殿は、その家康に、井伊のことを忘れないでほしい、と頼みます。


この後何が起こるか知っていると、ちょっと胸が痛くなりますね。


さて井伊谷では直虎が新野家を訪れて桜と庵原家の嫡男の縁談を伝えますが、桜と姉のあやめはためらっているようなので、直虎は南渓和尚のつてで、庵原家の嫡男朝昌に会います。


庵原家は今川家の軍師的存在だった太原雪斎の実家ですので、同じ臨済宗だった南渓和尚ならつてがあるわけですね。


朝昌は、なかなかしっかりした人物で、今回の縁談が井伊家をつなぎ止めるためのものだと理解した上で、最後まで忠義を尽くす、そういう人物こそ他家でも大事にされると述べて、直虎を感心させます。


井伊谷に戻って桜に会った直虎、領主でなければ嫁ぎたい相手だと話して、桜をその気にさせます。直虎は政次と相談して、桜の姉桔梗を北条家臣に嫁がせることにします。


井伊家の屋敷に戻ると、第一話から登場していた侍女のたけがいなくなっています。たけは高齢で思い通りの奉公が出来なくなったので、いとまごいしたんですね。


直虎は馬をはせてたけに追いつき、里まで馬に乗せて送りますが、その後井伊家の屋敷で幽霊騒動。


たけの姪梅がたけの代わりに奉公に上がったのをたけの幽霊と見間違えた、というオチでした。


以上24話のあらすじでした。タイトルは侍女たけとの別れや、新野家の娘たちが嫁いでいったりという出来事からついたようですね。


今宵はここまでにしとうございます。以下は過去ツイート再掲です。


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今日も氏真さんの一首を。

 

木端山跡も行ゑも煙こめてくたれは昇る山端の月(草―89)

 

天正十九年(1591)五月上旬。高野山参詣帰途、伏見木幡山を訪れた。後に秀吉が伏見城を築くとは思いもよらなかっただろう。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


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今日も氏真さんの一首を。

 

春の夜は思ひやりつる庭の面の若葉に霞む月の涼しさ(1―325)

 

天正三年(1575)五月上旬か。対武田決戦を控えているが、平静だったようだ。
#今川氏真
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#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


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今日も氏真さんの一首を。

 

雲霧もおほひそふれと三笠山あきす暮ける(ゆく)五月雨の宿(草―81)

 

天正十九年(1591)五月上旬。高野山参詣(北条家見舞い)後、奈良を探訪した。
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なりたい自分と現実の自分のギャップが大きすぎると自己嫌悪に苦しむのだと思います。
しかし今の自分がどんなにみじめでも「今日は自分が出来ることを頑張った。また頑張ろう」と思うことはできると思うんです。
自分で自分をほめてみるのもいいかも。色々頑張って成し遂げてきましたよね。


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それがしも今川氏真詠草を勉強しようとした時、「超めんどくせー!」とおもったのですが、めげずにともかく通読してみると「おや!?」と思うものがあり、色々「うひゃ」「うひょ」という発見があり、「野良」研究者wに成長?しました。
何事も続けていればきっといいことありますよ(^^)


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勉強することが多すぎて難し過ぎる時、まずは流し読みでいいから概要をチェックすること、自分のアンテナに引っかかるものだけ拾って、後日再挑戦するのが生産的ですよ。
そうすると、数をこなせて達成感があるし、気になるものを優先すると、発見が多くて楽しくなると思います。(続


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知っていなければならないと思うと勉強はつらい。宝探しだと思うと楽しいです。
目標が大きすぎると絶望しがちだけど、そのための小さなタスクや日課を決めると達成感があります。それがしは氏真詠草毎日一ツイート。
知りたいというエネルギーはすごいから、地道に頑張ればいいことがありますよ(^^)


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みっちゃんでした(^^)


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御意(^^)


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端午の節句の今日も氏真さんの一首を。

 

 端午には峠と言ところを過なら□(虫損)着
立へたつ道の空にもあやめ吹けふは都の軒は成けり(草―78)

 

天正十九年(1591)五月五日。高野山参詣後、奈良に足を延ばした。依然健脚である。
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祝!フォロワーさん600人!

これからも地道に頑張りますので、よろしくお願いいたします。

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今日も氏真さんの一首を。

 

たのもしなかりの住居をのかれつゝ安き世を知槙の下庵(草―72)

 

天正十九年(1591)五月初め、高野山で。正室早川殿の実家北条家赦免を喜び、頼もしさを感じたようだ。
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御意(^^)


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終活女子には受けるかも(^^)


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わざわざご教示ありがとうございます。「ラー」に意味がないように思いますがwww、楽しいです。見つけたら試してみます(^^)


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愚民!!!???www


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これ、商品名は何というんでしょう?
わーかめ好き好きーwww


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憲法記念日の今日も氏真さんの一首を。

 

 高山参詣の道すから
心なき我をも数にもらすなよ遍く弘き法のめくみに(草―68)

 

天正十九年(1591)五月初め、高野山で。蟄居後再興が許された北条家同様に、弘法大師の恩恵を願った。
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御意!(^^)


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今回は『評伝今川氏真』のキモといえる氏真詠草の年次比定図表を公開します。
なお既報ですが、追跡調査で、北条氏康、三条西実澄との「詠十五首和歌」は、天文二十一年(1552)冬と推定するに至りました。結婚前に小田原で早川殿や瑞渓院にも会ったかも(^^)
https://ameblo.jp/sagarasouju/entry-12594380413.html

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当面予定はないです(^^;) 残念。


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御意(^^)


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セリヌンティウスwww

 

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そうでしたか!今日は詠草年次比定表もアップしますね。


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『評伝今川氏真』のキモといえる氏真詠草の年次比定図表を公開します

今回は『評伝今川氏真』のキモといえる氏真詠草の年次比定図表を公開します。
冒頭氏真詠草各作品の年次比定図を提示しています。
なお既報ですが、追跡調査で、北条氏康、三条西実澄との「詠十五首和歌」は、天文二十一年(1552)冬と推定するに至りました。
三国同盟成立で氏真と早川殿が結婚する前年に氏真は小田原に行き、舅となる氏康と対面していたことになります。早川殿や母で氏真の伯母瑞渓院とも会ったのでしょうか?
興味深いですね(^^)
https://drive.google.com/file/d/1DRiokP-Avq75dELZvSj4g4Cw4nyeVZU_/view?usp=sharing

 

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遅くなりましたが、アマゾンで公開中の電子書籍『評伝今川氏真』の附録「今川氏真年表」を公開します。
次回は『評伝今川氏真』のキモといえる氏真詠草の年次比定表を公開します(^^)
https://ameblo.jp/sagarasouju/entry-12594195187.html


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『評伝今川氏真』の附録「今川氏真年表」を公開します。


遅くなりましたが、アマゾンで公開中の電子書籍『評伝今川氏真』の附録「今川氏真年表」を公開します。

次回は『評伝今川氏真』のキモといえる氏真詠草の年次比定表を公開します(^^)

 

「今川氏真年表」

https://drive.google.com/file/d/1xpbWxhP2Y2x_joLHcxA1XnbanNhoqkvz/view?usp=sharing


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カイザーナックルwww


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手巻き寿司ならぬ手巻きあん巻き!
子供が喜びそうですね(^^)


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今日も氏真さんの一首を。

 

 高山参詣の道すから
行水の流れて絶ぬけしき哉いく度みても宇治の川つら(草―63)

 

天正十九年(1591)四月末~五月初。豊臣秀吉に赦免され、河内狭山に領地を得た北条一族を見舞うため、高野山へと旅立った(続
#今川氏真
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#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


「行水の流れて絶ぬ」は鴨長明『方丈記』を意識したものであろう。…方丈と北条の掛詞?偶然の一致?
#今川氏真
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【再掲】
天正三年今川氏真上洛行程表と上洛経路地図を無料公開!
コロナ自粛中ですが、今川氏真さんのドキドキワクワクハラハラの初上洛をおうちで追体験しましょう!
中世交通史オタクや戦国京都オタクの皆さんからの「違うだろーーー!!!」というツッコミも大歓迎です!!!(^^)
https://ameblo.jp/sagarasouju/entry-12593912722.html


先ほどの行程表は電子書籍『#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ』の付表のテヘペロ修正版ですので、購読された方もダウンロードをお勧めします(^^;)
明日は氏真年表も無料公開しますね(^^)
#今川氏真
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小説『マロの戦国‐今川氏真上洛記‐』もどうぞ。
http://ncode.syosetu.com/n5953di/


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www河野さん気づくかな(^^)


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四月末の今日も氏真さんの一首を。

 

 述懐
これほとにあれとて生れきぬるみを歎くもよしな願はんもなし(6ー321)

 

天正十六年(1588)氏真は北条家の縁戚として、秀吉政権下では不安定な立場にあったと思われる。
#今川復権
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御意(^^)


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PHP研究所 広報‏ @PHPInstitute_PR · 4月29日 

昭和天皇の本当の気持ちは、その和歌にのみ託されている。生涯を通じての御心の変遷を、王朝和歌研究の第一人者が読み解く。

秦澄美枝著『昭和天皇 御製にたどるご生涯』

 


週刊 #今川氏真 詠草&#おんな城主直虎 の不都合な真実 Vol.25 5月10日号
(2020/04/30-05/10)