【平山さんのツイートの検証】

「研究者の批判」と『上杉謙信の夢と野望』に関する以上のような認識に基づいて、平山さんの一連のツイートの適切さについて検証する。

結論からいうと、以下に紹介する平山さんのツイートには「研究者の批判」というほどのものは見当たらず、多々問題が見つかった。

まずは「室町大名」に関する最初のツイートと思われる1月28日のもの。

 

もと考証ズHIRAYAMA‏
@HIRAYAMAYUUKAIN  


さるお方が、上杉謙信は戦国大名ではないと主張されておられ、最近声高になってきているそうで。ちょっと驚きました。ならばお尋ねしたい。戦国大名という概念をさるお方はどう定義されるのか。もちろん、自分の定義に反するから戦国大名ではないと主張されるのですよね?ぜひご回答をお願いしたい!

7:33 - 2017年1月28日

 

【やってはいけない:印象操作1】

事実と論理に基づくべき研究者は、それ以外の、受け手に先入見を持たせる記述はすべきではない。「さるお方」というもったいぶった慇懃無礼な書き方は、平山さんが読み手にその人を低く評価していると示唆して、読み手に同調してほしいという願望の表現である。

 

以下のような他の問題点もあって、批判相手の乃至さん本人が数日間気づかなかった。

 

研究者ならば「乃至政彦氏は『上杉謙信の夢と野望』で『室町大名』という概念を提示しているが、この概念設定には問題がある…」といった具合に、印象操作せずに乃至さんの「室町大名」概念を批判する旨を明言すべきであった。

 

【やってはいけない:ストローマン】

乃至さんは「上杉謙信は戦国大名ではない」と書いているとは思われない。

 

「室町大名」は「幕府再興に寄与する大名権力」、「戦国大名」とは「弱肉強食、富国強兵といった言葉に代表される『戦国の論理』に支えられていた存在」と「はじめに」で定義されている。

 

このように定義された「室町大名」と「戦国大名」は矛盾するだろうか?上杉謙信は幕府再興に寄与した戦国大名だった、というのが素直な理解であろう。乃至さんは「戦国大名」は「室町大名」にもなりえたと認識しているはずである。

 

乃至さんが「『上杉謙信は戦国大名ではない』と主張」しているというのは平山さんの主張であるが、その説明が見つからない。どうやら根拠を示していないようである。相手が言っていない事を言ったかのように攻撃する詭弁を「ストローマン」と呼ぶ。やってはいけない。

 

【やってはいけない:印象操作2】

「声高に」という言葉も説得力のない主張を聞かせるために声を高くする、というニュアンスを示す、印象操作である。乃至さんが書籍、雑誌、テレビ等メディアに登場するのを目にする機会が増えたというのは事実であるが「声高」ではない。

 

事実だけを伝えず「声高」という余計な修飾語を付け加える所に、乃至さんに説得力がないという自分の認識に同調してほしい、という平山さんの願望の先走りが見える。

 

【やってはいけない:あいまい作戦】

「室町大名」=「幕府再興に寄与する大名権力」が「戦国大名」=「『戦国の論理』に支えられていた存在」ではない、と解釈するほうが難しい。室町幕府再興に寄与しようとした時、上杉謙信が戦国大名としての力の裏づけを必要としなくなったとは当然言えない。

 

それでも平山さんが乃至さんが「『上杉謙信は戦国大名ではない』と主張」していると認識できるなら、「室町大名」でありえない特殊な「戦国大名」の定義を既に持っているはずである。自らそれを明示すれば済むはずなのに、乃至さんに定義を要求している。

 

研究者は検証可能な明確な主張を提示しあってその当否を検討するべきだが、自分の主張をあいまいにして相手側に忖度させ、楽をしようとする人が紛れ込んでいることがある。そうして気に入った相手の言うことには「そのとおり」とうなずき、気に入らない相手には「違う」と答える輩がいる。

 

「はじめに」で乃至さんが書いている内容を本当に理解できないなら、ここがわからない、と尋ねるしかないし、おかしい所があるならここがおかしい、と具体的に指摘すべきであったがそうしないので、平山さんの姿勢に胡散臭さを感じることになった。

 

最初の数ページのどこをどう誤読すると「室町大名」が「戦国大名」でない、と書かれていると思えるのか?「さるお方」「声高」と否定的な印象操作をたっぷりと含み、理解に苦しむツイートで「批判」は始まり、奇妙なやり取りがネット上で続くことになる。

 

【やってはいけない:印象操作5】

平山さんの「研究者」としての本気の「批判」はどこにあるのか?研究への批判はページ数を示し、しばしば語句を引用して行うものだが、「史料を読め」「死の飛躍」といった漠然とした主張だけが根拠もなく続く。

 

どの史料をどう読めていないのか?何ページのどの記述が「死の飛躍」なのか?平山さんの主張なら何でも無条件に受け入れる信者でなければ、これで納得するのは不可能ではないか。このツイートから分かるのは、平山さんが乃至さんの本を読んでほしくない、という感情論だけだ。根拠は不明。

 

研究者は自らの主張の正当性を事実と論理で具体的に示すものであるから、根拠のない主張ばかりを並べる平山さんへの疑念が高まる。

 

【やってはいけない:印象操作6と自己矛盾】

その上で次のツイートが行われる。

 

もと考証ズHIRAYAMA

@HIRAYAMAYUUKAIN  

でもアタクシは、さるお方に論著で論戦を挑むつもりはありません。研究者の世界は、無視ということで相手の評価をするというめんどくさい慣例があるのです。論評すらできないという意味です。(以下略))

7:52 - 2017128

 

「論評すらできない」としつつ、「論」のない「評」を書かれても、なぜそう断言できるのか?そんなにレベルの低い著作なら、「先行研究の無視と不正確な引用、自己矛盾、当時の書物の誤読など」の中で致命的なものをいくつか「指摘」すればよいのだが、またしても根拠が示されない。

 

根拠がないので、論理的な読者が論評に値しないという結論にたどり着く術がない。平山さんが乃至さんの著作が論評に値しないという印象を植え付けたいという願望のみが顕著に感じられるだけで説得力を感じられない。

 

 

平山さんのこのツイートの後、乃至さんは数日間沈黙を守った。平山さんのツイートの不可解さと理由なき敵意に混乱し、困惑したものと思われる。

 

知的生産を行う研究者ならば、概念に不満があるならその問題を明確にせねばならない。

上杉謙信が室町大名ならば戦国大名とは呼べなくなるような「室町大名」概念の欠陥とは何なのか。

 

研究者による批判は事実に基づく検証、論理による明確化、新たな知見の提示、知的好奇心の喚起など豊かな知的コンテンツが盛り込まれているものだ。

 

平山さんには、戦国大名概念の研究史から関連した研究や、乃至さんの概念より優れた研究概念を提示し、乃至さんの記述が事実と論理によって正当化されているかなど専門家として検討し、明らかにする事が期待されていた。

 

乃至さんが「はじめに」で明瞭に定義づけた「室町大名」概念に矛盾があるならそれを明確に論じて公表すれば済む話である。

また、著作に対する批判は一般に書評などに書くのが普通である。

 

しかし平山さんは「さるお方」「声高」といった研究者らしくない感情的な表現で、乃至さんが上杉謙信を戦国大名ではないと主張している、と根拠のない主張をし、乃至さんが同書冒頭に室町大名と戦国大名の定義を明記したのにそれを無視して、定義を求めてきた。

 

乃至さんは思った事だろう。

 

自分は「上杉謙信は戦国大名ではない」などと言っていないし、室町大名と戦国大名が相容れなくなるような概念構成をしていない、と。

 

乃至さんは知的な議論には応じる意思があると思われるが、平山さんのツイートには研究者としての知的関心ではない不純なもの、普通に踏むべき手順を踏まないぞんざいさ、不可解さを感じて困惑したと思われる。

 

しかし著名な平山さんに対してあからさまな否定をする訳にもいかない。

そこでほとぼりが冷める事を期待して沈黙を守ったが、騒ぎはひどくなる一方だったので、やむを得ず平山さんにツイートしたようだ。

 

 

乃至政彦‏

@naishimasahiko  

乃至政彦さんがもと考証ズHIRAYAMAをリツイートしました

 

ご投稿に驚いたので、わたしも調べてみましたが、そのように主張する作家?や学者?は見つけられませんでした。「声高」といっても影響力はなさそうですね。もし正式に返答を求めるならその人にちゃんと聞いてみるのが望ましいと思います。

 

21:51 - 201724

 

【やってはいけない:非対称な関係の強要】

平山さんの「さるお方」以降のツイートが第三者からみて乃至さんを対象としたのは明白だったが、乃至さんがこのようなツイートをしたのは、平山さんに再考してほしいというなぞかけだっただろう。

 

しかし、平山さんはこれを無視して後戻り出来ない線を越えてしまった。

 

 

もと考証ズHIRAYAMA

@HIRAYAMAYUUKAIN  

@naishimasahiko 私は貴兄に申し上げたはずです。学問の基礎を学び、研鑽を積んで欲しいと。もう数年経つと思いますが、いっこうに改善されず、書くものの内容や発言があまりにも歴史学を真摯に学ぼうとしていないことに失望したのです。(以下略)

23:39 - 201728

 

 

乃至政彦‏

@naishimasahiko  

@HIRAYAMAYUUKAIN その件につきましては、何を基準とされるのでしょうか。これまで必死に真摯に学び、その姿勢も強く見せて参りました。武田氏研究誌に論文を投稿して掲載されること、学会と繋がりを持つこと、これらはあなたにお会いする前の私では考えられないレベルのことです。

7:42 - 201729

 

もと考証ズHIRAYAMA

@HIRAYAMAYUUKAIN  

@naishimasahiko 読解力なし、が判明。

7:58 - 201729

 

 

平山さんは乃至さんの研究の基礎を批判する。乃至さんは混乱、困惑しながら自分の努力を具体的に示し、何が問題なのか尋ねるが、平山さんの回答は

 

「読解力なし、が判明」

 

という非礼極まりない上に知的に無内容なものだった。

 

頼まれてもいないのに、乃至さんを徒弟のように扱おうとする平山さんの姿勢は異様であり、21世紀の研究者としてあるべき姿ではない。

 

 

【やってはいけない:あいまい作戦】

またしてもあいまい作戦である。「基礎」というあいまいな言葉は乃至さんが何を言っても後出しじゃんけんで「違う」と言える。これは偽物の言動だ。実力があり自信がある研究者ほど明確な主張をするものであり、明快な命題(Statement)を提示して本物の研究者の批判を求める。

 

平山さんは乃至さんの著書『上杉謙信の夢と野望』に欠けている「基礎」を具体的に明示すべきなのに、それをしない。同書に問題があるなら問題がある記述のページを指定し、引用してそれを否定する先行研究や資料を羅列できれば、それで瞬殺できるのに、それをしない。

 

乃至さんも同じようなうさん臭さを平山さんと「下野守」という研究者?に感じていたのだろうと思われる。具体的な指摘がなく、伝統的な手続きや手順についてうんちくを垂れる姿勢に、知的に非生産的な、偽物くささを感じたのではないだろうか?

 

 

乃至政彦‏

@naishimasahiko  

@HIRAYAMAYUUKAIN 勉強の方法に正解があるのでしょうか。私は学界の評価に興味がなく、人々を楽しんで貰うことを第一に研究をしております。歴史学は私にとって技術であり、信仰ではありません。しかしあなたは生徒でも弟子でもないのに「信心が足りない」と学問棒を振りかざされる。

7:52 - 201729

 

 

もと考証ズHIRAYAMA

@HIRAYAMAYUUKAIN  

@naishimasahiko 意味不明。誰が信仰せよなんぞといった?学問をやる以上、ちゃんと手順や作法を踏めといってるだけ。批判されるのがいやなら、発表はさけた方がよいといつもいっているはず(ため息)。

7:59 - 201729

 

この問答は面白い。乃至さんは知的新規性(Lakatosh的)、有用性(Feierabend的)を重視するのだが、平山さんは伝統主義的で、またしてもどんな「手続きや作法」を踏んでいないといいたいのか不明なのである。

 

おそらく乃至さんは平山さんや「下野守」さんから「学問の作法」やら「手順」やらを聞かされたのだろうが、知的に生産的でないと思って、次第に距離を取ったのだろう。

 

こうしたやり取りの後、乃至さんは平山さんと「下野守」さんをブロックしたようだ。