ただいま更新中の小説『マロの戦国‐今川氏真上洛記‐』執筆にあたって推定した天正三年(一五七五)の今川氏真上洛経路をグーグルマップで公開します!

 このブログでは見えないので、下に比較的効率的な閲覧方法を書きます。

 

 

【天正三年氏真上洛経路閲覧方法】

◎タイトル「天正三年氏真上洛経路」の横にある[ ]の拡大地図を表示をクリックして地図を別ウィンドウで開く。

 

◎左側の「小説『マロの戦国‐今川氏真上洛記‐』資料」の下にある「…他160個」をクリックすると氏真が訪れた順に地名がずらずら出てくる。

 

◎地名をクリックすると、そこが地図の中心になる

 

◎拡大して表示する。

 

 

 上から順番にカーソルをオンしていくと、氏真さん御一行が移動した経路が大体イメージできます。

 

 訪問場所は歩行者のアイコン、寝泊まりしたことが確実な場所はベッドのアイコンを使用しています。

 

 小説『マロの戦国‐今川氏真上洛記‐』は天正三年今川氏真詠草から割り出した経路に忠実に従って書いていますので、こちらを参考にされると一層イメージがわくと思います。

 

 

小説『マロの戦国‐今川氏真上洛記‐』(左にもリンクあり)

http://ncode.syosetu.com/n5953di/

 

 

 詠草に残されただけで約160か所を訪れた氏真さんの行動力には驚かされます。

 

 この地図は三月十六日信長との対面及び四月三日~四日飛鳥井邸蹴鞠以外は詠草の和歌と詞書から割り出したものです。

 

 これ以外にも実務的な外出もこなしているはずですが、そちらは知るすべがありません。

 

 この後長篠の戦いに参加し家康から遠江の牧野城を任されたことはご存知の方も多いでしょう。

 

 しかし牧野城主を辞任してからの足取りはほとんど記録に残っていません。

 

 

 現在苦闘中の今川氏真伝では天正四年以降天正年間の居所推定にも挑戦して、注目に値する事実を発見しましたので、公表する予定です。