「いきてたらいいことがいっぱいあるって
 むかしのわたしにいうてやりたい

今橋愛の新しい歌集「としごのおやこ」
親子三人の暮らす日々が綴られていく。

「ひざが
 わたしの膝じゃないみたいに
 すかすかする
 生きかた かえようとしなかった膝

『いつも眠い。ここと散歩かたがた神社にお祈りに行くときも眠くて眠くてこれはなんやの。と思いながら今日はついにキューピーコーワゴールド夕方にも ひと粒のんでしまったことだよ。クリスマスケーキをどうすんのか。おせちをどうすんのか。』

ここの子育てに毎日が流されていく。

「女性誌の表紙のことばが
 解れない
 ちがうねん日々は
 もっと ぐちゃぐちゃ

依頼されている原稿が書けない。

『…あまりに書けなくてくるしくて
 てんしょんが変になってきて つらすぎてか何なのか
 みたらし団子を買わずにはいられなかったよ。
 さむくて人もいない公園で もぐもぐ食べるみたらし団子。

 みたらし団子は たれがかかっていて
 あまかった。』

それでも幸せは

「ぜんしんで今を生きているここちゃんを
 今みてることが生きることだと

**
今橋愛は32才で離婚した。きっと歌人はたくさん傷ついたのだろう。しかし歌は傷つくことで感動を生みだすことであったりする。いや歌は悲しみや苦しみの中からしか生まれない。今まで
そう思っていた。

「うまくいかなかったとき
 ミルクコーヒーのうたを つくった
 前の結婚

「おんなのひとであることにつかれました。って
 いしょかいて
 気分転かんしていた。

**
それでも歌人はもう一度結婚し、ここちゃんが生まれた。

「あんたたちいいひんかったら
 さびしくて
 さびしいことにも気づかないまま

「3人でなかよく生きていけること
 大きすぎる家はいらない。

「もうたりひんことをかぞえるひまはない
 このひとたちと生きていきます

子育ての日々にひとりの時間はなくて、それが日々。

「こぼれても
 こぼしても
 わすれてもあった
 わたしの詩情

 ひとます休み

「駅前のスーパーで
 立っていられなくなってしまって
 つくなんでいる

「一階に おりたら
 少しコーヒーの のこったカップ
 きみのぬけがら

「はたらいて あせかいて
 はたらいて
 まっすぐかえってくる
 あなたにはカレーを

**
そしてここちゃんはお姉さんになることができなかった。

「ポリープの話をきいて、そこからさき 心ぞうの音がしない。え、なにそれ

「そんなこと、わたしはにんぷけんしんにきてるとちゃうの そんなこと、そんなこと、

「おちつくまでいたらいいから。と
 どんなかおしていたか
 あき部屋ですわってる

ときちゃんは「にじゅういちがつ」にうまれるはずだった。

「なんとよわい子なのか ちゃうか
 ときちゃんにここちよくなかった。わたしのおなか

「ときちゃんは しんだまま わたしのおなかにいる
 しんでもしんだままで いきてる

「とまった息がまたもどることは?聞いたら
 もういちどみますか?
 言ってくれた

「水まぜたような
 うすいももいろの
 いちどだけ
 あれは なみだか ときの。

それでも歌人は向き合っていかなければならない。歌を詠んで。

「にじはんにめがさめて
 ときちゃんのうたをおかあさんはつくっているよ

「やってきてたったふたつきで
 はるのかぜみたいに
 ふわり いなくなった子

「わたしからときちゃんいなくなるんだから
 ないていてあたりまえだったんだ

「ときちゃんが
 わたしにくれたものをちゃんと
 みみをすませて
 うけとることにする

「ときちゃーん
 おかあさん いっしょうけんめい
 生きるから
 だから またやってきてね。
 会おうね。

**
歌は悲しみや苦しみの中からしか生まれない。今までそう思っていた。
今橋愛の第三歌集「としごのおやこ」
誰にでもある、どこにでもある、子どもと家族、そんなごくありふれた日常が、鮮やかに昇華されていく。平明な言葉と、日常の言葉で。
確かにうれしいことも、悲しいことも、どこの家族にだって、どこの家庭にだって、当たり前のようにあることを、今橋愛が言葉として綴っていくと歌になっていく。

「くうきやそこらにみえないけど
 しあわせはあって
 やさしいひとに すこしなれそう

そして

「女ありけり
 何かから解き放たれて
 息をはきだす
 40で やっと