🦋夏休み自由研究

アリオンシジミ-Maculinea arionという美しい蝶がいる。翅幅40~43mm、ヨーロッパでラージブルーと呼ばれる深い青に黒い斑点が宝石のようにちりばめられた蝶だ。その謎に秘められた生態は一層人々を惹きつけ、美しさと相まって宇宙のように神秘的な存在としての輝きを放っていた。1972年イギリスでラージブルーの個体数は150羽、まさに絶滅の瀬戸際にあった。20世紀初頭には100以上の個体群、一つの個体群が数万羽からなっていたことを思えばいかにラージブルーの絶滅の危機が深刻かが分かる。そしてラージブルーは1979年イギリスで公式に絶滅が宣言された。

 アリオンシジミの生態環はジェレミー・トーマスらの研究でやっと解明されつつある。その迷宮のような生態環は知れば知るほどに感動的だ。
 アリオンシジミは卵を野生のタイムにしか産みつけない。幼虫はタイムの花を餌に三週間ほど成長した後、地面に落ちてアリの巣に運ばれ、一年間アリの巣で成長し、夏の終わりに美しい姿に羽化する。そして四、五日ほどサマーセットの丘を優雅な舞いに彩り死んでいく。
 アリオンシジミが野生のタイムにしか卵を産みつけないのは、タイムの下で餌食するキバハアリ-Myrmicasabuletiを寄主として幼虫が育つためだ。キバハアリは少なくとも五種類おり、アリオンシジミはその中の特定の一種でしか成長することができない。この特定の一種に限った擬態で幼虫は、人間の目では決して区別することができない完全な姿としてアリに気付かれずに生きつづけることができる。別のキバハアリに見つけられた幼虫は侵入者として殺される運命にある。
 アリの巣は年間10ヶ月は食料不足のストレス状態にあり、その期間中アリは過敏でイライラしてあるべきシグナルを発していないとそれを攻撃する。そのあるべきシグナルがアリオンシジミの巧妙な擬態だ。侵入者としての存在をうまく騙し通せれば、アリの巣は安全で快適な生活を保障してくれることになる。

 幼虫はタイムから落ちるとキバハアリに一番気付かれやすい地面から1、2mmのところでじっと待ちつづける。ほとんどのアリは植物の上を歩き回るが、キバハアリは植物の下を歩き回る。アリオンシジミの幼虫はちょうどその高さで、アリの歩き回る時間に待っているのだ。アリが幼虫を見つけて触覚で触れると、幼虫はアミノ酸と糖を含む液体を分泌する。するとアリは狂ったように騒ぎだし、巣に戻って仲間を呼び寄せ一時間から時として四時間あまりも幼虫をなめたり触ったりしてパーティーをつづける。その後パーティーは発見者のアリだけ残して散会する。すると幼虫が突然後ろ足で立ち上がるのだ。アリは幼虫を自身の幼虫が巣から逃げ出したと勘違いし、再び狂ったように騒ぎだす。飛び上がっては噛みつき、振り回しながら巣に向かって一目散に帰ると本当の幼虫と一緒の場所に安置して一件落着、キバハアリにとって長かった一日がこうして終わる。

 アリオンシジミの幼虫は静かで安全で快適な場所に落ち着くと、周りのアリの幼虫を食べつづけながら、10ヶ月あまり成長をつづけまるまると太った頃にはアリの幼虫は食べ尽くされている。一匹の幼虫が育つためにはおよそ300匹のキバハアリの幼虫が必要とされる。そのためキバハアリの巣に複数の幼虫が運び込まれると巣のキャパシティを超えたところですべての幼虫は餓死することになる。
 そしてアリオンシジミの幼虫は五月の下旬から六月の初めにサナギになり分泌液を出して寄主であるアリとコミュニケーションを図りながら三週間後の七月の初めに羽化して空を舞う。

 アリオンシジミのこうした驚異的ともいえる生態環は5千万年以上にわたる時間の中で進化を遂げてきた。アリオンシジミが生きていくためには、野生のタイムとキバハアリが生息できる環境が必要だ。しかしわずか50年ほどの時間の中で人間がアリオンシジミが生きていく環境を変えてしまった。
 アリオンシジミの舞ったサマーセットの丘や、コッツウォルスやコーンウォルの谷は果たして誰のものだったのだろう。登記簿を見れば権利関係は分かるはずだ。しかしその権利関係たるや50年、あるいは100年程の人間の権利関係でしかない。
 失われようとしている多くの種の運命は、私たちが意識しようがしまいが人間の手の中に握られている。セレンゲティのサバンナを駆け抜けるチータも、インドネシア・アルー諸島のゴクラクチョウも近い将来生きている姿を目にすることはできなくなるだろう。いま地球上の生物多様性は劇的に失われつつあり自然は単一のものに収束しようとしている。こうした絶滅に向かう生き物を私たちはどうしたら守ることができるのだろう。