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 一際暗い室内の壁一面に巨大な絵が幻影のように立ち上がっていた。

 グラン・ブーケだ

「グラン・ブーケ」は三菱一号館美術館が所有するオディロン・ルドンを代表する作品であり、特筆すべきは2メートルを超える大画面にパステルという脆弱な画材を使って描き上げていることだ。

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「ルドン-秘密の花園」は初期から晩年まで100点近くに及ぶ作品を展示し、ルドン芸術の頂点を極めたドムシー城の装飾画をまるでドムシー城食堂のジオラマのように組み立て展示している。因みにドムシー城はルドンのパトロンであったドムシー男爵の居城で、グラン・ブーケを始めとする一連の大作群はドムシー男爵の食堂のために描かれている。


 ルドン展を見終わって感じたこと、それはルドンはメタファーということだった。

 意識的にディテールを組み合わせ、夢や無意識の暗示的な世界をキャンバスに描きだしていく。それは、初期の「黒の時代」であっても、ドムシー城を飾った「グラン・ブーケ」であったとしても

 ルドン油彩の代表作「眼を閉じて」の花と人物の組み合わせに於いても、定義し難いモチーフを重ね合わせることによって、主題自体を曖昧にし、作品それ自体の解釈を妨げ、すべてのモチーフをメタファーとして描きあげていく。それがルドンの絵画であり、暗喩として描きだされた数々のディテールは一つの作品となったとしても、作品自体の主題を最後まで読み取らせようとはしない。

 つまりオディロン・ルドンが遺したもの、それは黒の時代であっても、色彩を手にした時であっても、例えそれがドムシー城食堂の装飾画であったとしても、描きだす絵画は何か具体的なものを意味するのではなく、ただ暗示でありあくまでメタファーそのものとして絵画史上に提示されたものだった。


 オディロン・ルドンは1840年フランスボルドーに生まれた。最初に絵画を習ったのは15歳の時、流浪の版画家スタニスラス・ゴランからだった。ルドンはエッチングに集中し版画の技法を習得していく。その後コローと出会いバルビゾンで幻影的な画風を徐々に確立していく。またこの時期怪奇小説家のエドガー・アラン・ポーやボードレールの「悪の華」と出会うことで一層イリュージョンの世界に深化していく。そしてドムシー城食堂の装飾画は1900年頃から制作を始め1901年にはすべての装飾が終わっている。

 なお油彩の代表作「眼を閉じて」は岐阜県美術館の所有であり、岐阜県美術館のルドン収集は世界的に評価されている。

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ルドン展開幕中にルドンをイメージしたランチがあった。それがいかにもルドンでとても感動して思わずWhaoooo〜

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