「4月16日午後3時、この1分はお前といた…」
ウォン・カーウァイの「欲望の翼」はこうして始まった。
遊び人のヨディが、スタジアムの売店の女スーの肩に手を回して時計を見せ、そして1分が経った。こうして物語が始まった。
1960年代の香港、すれ違う4人の若者。
夜、暑い部屋、そして雨。
心の奥底に焼き付いている映像、雨、夜、水の音、あぁタルコフスキーだ…。
ウォン・カーウァイの監督2作目「欲望の翼」は、撮影監督にクリストファー・ドイルを迎えることで、カーウァイ自身の世界を確立した。
多用するモノローグ、鮮やかな色彩、行き戻る時間、そして静かに流れるスタンダード曲、これがウォン・カーウァイの世界だ。
雨がすべての物語のプロットになっている。
ダンサーのミミとヨディ、激しい雨、初めての夜。
恋しさにヨディの部屋に行くスー、雨が舗道を照らす。
スーに声をかける警官タイド、雨に光る合羽。
ヨディが去った後、土砂降りの雨の中でミミに思いを打ち明けるサブ。
それぞれが、それぞれ違う人を思う。ただしヨディだけは誰も思っていない。ヨディが思っているもの、それは自分を捨てた母親だ。
物語はヨディを中心に、ヨディの血の行方に向かい、やがて最後の駅に向かう。
「一緒に不幸になろう
「いつか不幸になる
ヨディは実母のいるフィリピンへ、そして自ら招いて重傷を負う。
絶命の前、偶然居合わせたタイドが
「去年の4月16日、3時に、何をしていた?」
「俺はその女といたよ…」
鋭利な刃物のように研ぎ澄まされた映像と、ゆったりと流れる曲の対極。これがウォン・カーウァイの世界だ。
ある時だけの愛、その1分を忘れない…。